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ニッタクヒストリー

ニッタクヒストリー
卓球の総合メーカー日本卓球!
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ニッタクの歩みnittaku history

ニッタクの歩み

日本卓球(ニッタク)の歴史は1920(大正9)年に遡ります。1880年代に誕生した卓球の歩みと合わせてご覧ください。
記載情報は2017年7月現在、(凡例)黒字はニッタク、青字世界の卓球赤字日本の卓球の出来事です。

【出展】
世界および日本の卓球の出来事については、その一部を「卓球 知識の泉」(藤井基男著/卓球王国発行)、
「ピンポンさん」(城島充著/角川文庫)から引用しています。
1880年代(明治半ば)~1920年代
卓球がイングランドで誕生する(1880年代)。
上流階級のローンテニス愛好家たちが雨宿りの間にテニスを食卓で楽しんだのが始まりで、英語名称「TABLE TENNIS(テーブルテニス)」の由来ともなっている。
「ピンポン」の名称は、当時の代表的な“中空の皮張りラケット”で打球するときの響きに由来するという。
ボールはテニスボールに始まり、コルク製、ゴム製のボールが登場したが、技が限られ、ラリーも単調で面白みが少ないために卓球人気は次第に衰退する。
1900年(明治33年)
セルロイド製のボールが導入される(イングランド人ジェームス・ギブ氏が渡米、おもちゃのセルロイド球を持ち帰ったのが始まり)。
セルロイド球ならではの心地よい打球感・音、適度なスピードや回転から生まれるラリーの面白さが人気となり、イングランド、ヨーロッパ、世界へと人気が広まる。
1901年(明治34年)
イングランドに「Table Tennis協会」と「Ping Pong協会」が生まれる。
イングランドで卓球ゲームに関する最初の本が出版される。
卓球初のトーナメント大会がロンドン・ロイヤル水族館で開催される。
1902年(明治35年)
イングランド人E.Cグッド氏が薬局の釣銭皿のゴムを木のラケットに貼ってイングランドのトーナメントに優勝。これが、卓球用具としてのラバー初登場となる。
東京高等師範学校(筑波大前身)・坪井玄道教授が留学先の英国から用具とルールブックを持ち帰り、「ピンポン」という名称で紹介、日本の卓球元年となる。
坪井教授にピンポンセット試作を依頼された運動用具店「美満津商店」(東京・本郷)店主・伊東卓夫氏は日本初の卓球書「ピンポン」を出版する。
1903年(明治36年)
第5回 内国勧業博覧会(大阪)に美満津商店が設けた「ピンポン遊戯場」で行った模範試合が卓球の日本初公開となり、以後、東京・大阪を中心に卓球熱が高まるキッカケとなる。
1906年(明治39年)
日本初のトーナメント大会が東京と大阪、各々で開催される。
1908年(明治41年)
日本初のピンポン記事が、新聞に掲載される(東京万朝報)。
1914年(大正3年)
第一次世界大戦勃発により、ヨーロッパでは卓球が休眠状態に陥る。
1917年(大正6年)
「ピンポン」が全国に普及する(東京・大阪・京都・名古屋・神戸他各地に卓球団体が誕生)
1918年(大正7年)
「卓球」という名称が誕生する。新聞にも日本で初めて「卓球」の文字が掲載される(東京日々新聞社=毎日新聞社前身)
1920年(大正9年)
ニッタク前身の『ハ一夕一商会』創業(『中央セルロイド』より引継)。初代社長に向原関一(むこうはらせきいち)が就任する。
所在地は「上野池之端七軒町」。 主に万年筆の輸出販売を手掛けたが、卓球ボールも製造(ブランド名はH標準球)
1921年(大正10年)
日本初の卓球統轄組織「大日本卓球協会」が大阪に誕生、設立と同時に日本最初の統一卓球ルール(軟式卓球)を発表する。
日本の卓球競技は、国際ルールよりも「柔らかいボール」と「小さな台」を使う『軟式卓球』という日本式の独自ルールで始まる。
1922年(大正11年)
第一次世界大戦のため休眠していたイングランド卓球協会は復興に際し、卓球の名称を「TABLE TENNIS(テーブルテニス)」に変更、以来今日まで、これが英語正式名称となる。
1924年(大正13年)
日本二つ目の卓球統轄組織「大日本卓球連盟」が大阪に誕生する。
日本初の卓球技術書「卓球術」(鈴木貞雄著・美満津運動具店発行)出版。
1926年(大正15年)
第1回 世界選手権をロンドンで開催、ハンガリーが全5種目を制覇する。
国際卓球連盟(ITTF)創立、イングランドのⅠ.モンタギュが初代会長に就任する。

日本三つ目の卓球統轄組織「全国卓球連盟」が東京に誕生する。
当時、日本でもっとも権威のある総合スポーツ大会「明治神宮体育大会(神宮大会)」の第3回大会で正式種目として採用され、卓球がスポーツとして日本社会に認められる。
1927年(昭和2年)
日本四つ目の卓球統轄組織「帝国卓球協会」が東京に誕生する。
1928年(昭和3年)
日本がITTFに加盟する。
1931年(昭和6年)
四つの統轄組織が集まり、日本全国を統一する団体として「日本卓球会」が誕生する(今日の公益財団法人日本卓球協会の前身)
第6回神宮大会は第一回全日本軟式選手権を兼ねて行われ、男子・中島正郎(岩手)、女子・山本スミ(高知)が優勝する。
1936年(昭和11年)
全日本選手権で従来の軟式に加え、硬式(国際式)が正式種目となり、男子・中川武夫(大阪)、女子・保原キヨ(京都)が第一回優勝者となる。 
1937年(昭和12年)
「日本卓球会」の名称を「日本卓球協会」に改める。
1938年(昭和13年)
世界チャンピオン歴を有するハンガリーのサバドスとケレンが来日、初の国際試合「日洪国際交歓試合」が開催される。
1939年(昭和14年)
第二次世界大戦勃発。この年を最後に、世界選手権は1946年まで中断する。
1940年(昭和15年)
満州(中国・東北部)・中国・日本が参加の「東亜競技大会」、米国・豪州・日本が参加の「汎太平洋卓球競技会」を日本で開催、両大会で日本が圧勝する。
1941年(昭和16年)
太平洋戦争に突入。全日本選手権は1945年まで中断する。
1945年(昭和20年)
第二次世界大戦終結。
1946年(昭和21年)
第一回国民体育大会が開催される。卓球も種目に加えられ、戦後初の全日本選手権を兼ねて行われる。硬式で男子・藤井則和(京都)、女子・加藤君枝(京都)が優勝する。
1947年(昭和22年)
戦後初の世界選手権「第14回世界選手権パリ大会」が開催される。
「第一回マッカーサー元師杯(全国都市対抗)」が開催される。
「ハ一夕一商会」から「日本卓球株式会社」に社名変更。卓球専門メーカーとして事業を開始する。
ニッタクブランドの卓球ボールを「尾久工場・堀切工場」の2ヶ所で製造(後に呼び名が「荒川工場・葛飾工場」となる)
月刊卓球雑誌『ニッタクニュース』を創刊する(10月)
1949年(昭和24年)
日本卓球協会がITTFに復帰、他のスポーツ競技団体に先駆けて、日本第一号の国際復帰を果たす。
1952年(昭和27年)
日本が初参加となった世界選手権「第19回世界選手権ボンベイ大会」で、7種目中4種目に優勝する。本大会は、アジアで初めて開催された世界選手権である。
従来主流だった一枚ラバーを凌駕して、スポンジ・表ソフト・裏ソフトが台頭、以後主流となる。
アジア卓球連盟(ATTF)が結成され、「第1回アジア選手権」が開催される。
1953年(昭和28年)
中国が世界選手権に初参加する(「第20回世界選手権ブカレスト大会」)。日本は不参加。
1956年(昭和31年)
日本初の世界選手権「第23回世界選手権東京大会」が開催され、世界20の国と地域から166人が参加する。
1958年(昭和33年)
「第1回 ヨーロッパ選手権」が開催される。
1967年(昭和42年)
ITTF二代目会長にH・R・エバンス(ウェールズ)が就任。
東京営業所を「上野池之端七軒町」から「神田和泉町」へ移転(本社所在地は「上野池之端七軒町」)
1970年(昭和45年)
創業50周年を迎える。
1971年(昭和46年)
日本で2回目の世界選手権「第31回世界選手権名古屋大会」が開催される。今大会が米中、日中の国交回復のキッカケとなり「ピンポン外交」という言葉が生まれる。
日本卓球協会が「アジア卓球連盟(ATTF)」を脱退する。

ニッタク3スター球が初めて世界選手権大会使用球に選ばれる。
1972年(昭和47年)
「アジア卓球連合(ATTU)」が結成され、日本卓球協会が加盟。「第1回アジア選手権」が北京で開催される。
1974年(昭和49年)
ニッタク2代目社長に向原 一雄(むこうはら かずお)が就任。
1975年(昭和50年)
福岡営業所を開設。
ニッタク3スター球が「第33回世界卓球選手権カルカッタ大会」使用球に選ばれる。
1976年(昭和51年)
「マッカーサー元師杯(全国都市対抗)」が第30回 福岡大会をもって終了する。
1977年(昭和52年)
「日本リーグ(実業団)」発足。
1978年(昭和53年)
「第一回全国家庭婦人卓球大会」が開催される。
1979年(昭和54年)
ニッタク3スター球が「第35回世界卓球選手権 ピョンヤン大会」使用球に選ばれる。
1980年(昭和55年)
全日本選手権に「カデットの部(14歳以下)」を新設する。
名古屋営業所を開設。
1981年(昭和56年)
全日本選手権に「ホープスの部(小学6年生以下)」を新設する。
ニッタク3スター球が「第36回世界卓球選手権ノビザド大会」使用球に選ばれる。
1982年(昭和57年)
「第一回世界ベテラン大会」が開催される。
「第一回全日本クラブ選手権」が開催される。男子は青卓会(東京)、女子はサンフレンド(東京)が優勝。
仙台営業所を開設。
1983年(昭和58年)
「第一回全国ホープス大会」が開催される。
日本で3回目の世界選手権「第37回世界選手権東京大会」が開催される。
ニッタク3スター球が「第37回世界選手権東京大会」使用球に選ばれる。
1984年(昭和59年)
全日本選手権に「ホープスミニの部(小学4年生以下)」を新設する(「カブの部」の前身)
「全国家庭婦人卓球大会」の名称を「全国レディース卓球大会」に改める。
札幌営業所、大阪営業所を開設。
1985年(昭和60年)
ITTFは「ラバーの色は赤と黒に限定」を決定する
日本卓球協会は、登録会員へのゼッケン配布制度を開始する。
ニッタク3スター球が「第38回世界選手権 イエテボリ大会」使用球に選ばれる。
1986年(昭和61年)
日本卓球協会は「卓球発展計画プロジェクト」を発足。白いウェア、オレンジボール、ブルーのテーブル、ラージボールの開発を推進する原動力となる。
1987年(昭和62年)
ITTF三代目会長に荻村伊智朗(日本)が就任。欧米発祥スポーツ競技の国際組織会長への就任はアジア人として初。
全日本選手権に「バンビの部(小学2年生以下)」を新設する。
ニッタク3スター球が「第39回世界選手権 ニューデリー大会」使用球に選ばれる。
月刊卓球雑誌「ニッタクニュース」が創刊以来第400号を迎える(2月号)
1988年(昭和63年)
第24回オリンピック ソウル大会が開催され、硬式卓球が正式種目に採用される。
「ラージボール卓球」が誕生する。
1991年(平成3年)
日本で4回目の世界選手権「第41回世界選手権千葉大会」が開催される。
「第41回世界選手権千葉大会」で南北コリア統一チームの参加が実現、女子団体で優勝を果たす。オレンジ球、ブルー台が採用された最初の世界選手権となる。
ニッタク3スター球が「第41回世界選手権千葉大会」使用球に選ばれる。
1992年(平成4年)
ニッタク3スター球が「第25回オリンピック バルセロナ大会」使用球に選ばれる。
1993年(平成5年)
ニッタク3スター球が「第42回世界選手権イエテボリ大会」使用球に選ばれる。
1994年(平成6年)
ITTF四代目会長にロロ・ハマランド(スウェーデン)が就任。
1995年(平成7年)
ITTF五代目会長に徐寅生(中国)が就任。
「日本卓球リーグ実業団連盟」が誕生する。
月刊卓球雑誌「ニッタクニュース」が創刊以来第500号を迎える(6月号)
1996年(平成8年)
ニッタク3スター球が「第26回オリンピック アトランタ大会」使用球に選ばれる。
1997年(平成9年)
ニッタク3スター球が「第44回世界選手権マンチェスター大会」使用球に選ばれる。
1999年(平成11年)
ITTF六代目会長にアダム・シャララ(カナダ)が就任。
2000年(平成12年)
10月1日以降のITTF主催大会で、ボールは従来の直径38ミリから2ミリ大きい40ミリサイズの採用をルール化、実施される。
全日本選手権で、40ミリサイズのボールが初めて採用される。
ニッタク3代目社長に北岡 功(きたおか いさお)が就任。
2001年(平成13年)
日本で5回目の世界選手権「第46回世界選手権大阪大会」が開催され、40ミリサイズのボール初採用の大会となる。
ラージボール卓球の活発化に伴い、全日本軟式選手権が平成13年度大会をもって廃止となる。
物流センターを本社から茨城県古河市へ移転。
ニッタク3スター球が「第46回世界選手権大阪大会」使用球に選ばれる。
2002年(平成14年)
卓球ボール製造工場を、東京都荒川区から茨城県古河市へ一部移転。
2003年(平成15年)
卓球ボール製造工場を、東京都荒川区から茨城県古河市へ全て移転。
2004年(平成16年)
ニッタク3スター球が「第47回世界選手権ドーハ大会」使用球に選ばれる。
2005年(平成17年)
ニッタク3スター球が「第48回世界選手権上海大会」使用球に選ばれる。
2007年(平成19年)
本社を上野池之端七軒町から神田和泉町へ移転。
2009年(平成21年)
日本で6回目の世界選手権「第50回世界選手権横浜大会」が開催される。
2010年(平成22年)
ニッタク3スター球が「ワールドチームカップ ドバイ大会」使用球に選ばれる。
2011年(平成23年)
ニッタク3スター球が「ワールドチームカップ マグデブルグ大会」使用球に選ばれる。
2012年(平成24年)
「第30回オリンピック ロンドン大会」で、日本卓球五輪史上初のメダル獲得(女子団体で銀メダル)
ニッタク3スター球が「第30回オリンピック ロンドン大会」使用球に選ばれる。
月刊卓球雑誌「ニッタクニュース」が創刊以来第700号を迎える(2月号)
2013年(平成25年)
プラスチック製ラージボール「ラージボール44プラ 3スター」が日本卓球協会の公認を取得(8月19日)、発売(12月15日)
ニッタク3スター球が「ワールドチームクラシック広州大会」使用球に選ばれる。
2014年(平成26年)
ITTF七代目会長にトーマス・ヴァイカート(ドイツ)が就任。
日本で7回目の世界選手権「第52回世界選手権東京大会」が開催される。
7月1日以降のITTF主催大会では、ボールはプラスチック製を使用球とすることが決定されている。
プラスチック製 硬式球「プラ3スター プレミアム」がITTFから3月25日、日本卓球協会から4月17日に公認を取得する。
ニッタク3スター球が「ヨーロッパ選手権 リスボン大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「全米国内選手権 ラスベガス大会」使用球に選ばれる。
2015年(平成27年)
4月6日を「卓球の日」に制定、卓球を通して世界で一つにつながろうプロジェクトを立ち上げる。
ニッタク3スター球が「女子ワールドカップ 仙台大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「ワールドチームカップ ドバイ大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「アジアカップ ジャイプール大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「アジアベテラン大会 ホーチミン市大会」使用球に選ばれる。
2016年(平成28年)
ニッタク3スター球が「東京選手権」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「ヨーロッパ選手権 2016-2019」使用球に選ばれる。
2017年(平成29年)
設立70周年を迎える(7月15日)
ニッタク3スター球が「アジア選手権」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「世界選手権デュッセルドルフ大会」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が「伝統の ITTF ヨーロッパ選手権(2014~2019)」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が世界の大学スポーツの最高峰「ユニバーシアード」使用球に選ばれる。
ニッタク3スター球が北米最大の国際大会「USオープン」使用球に選ばれる。
2018年(平成30年)
ニッタク3スター球が「全日本選手権(一般・ジュニアの部)」使用球に選ばれる。