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月刊卓球雑誌ニッタクニュース

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アスリートファイル「時吉祐一、伊藤美誠」

時吉 佑一 (早稲田大学)

国際大会優勝で 大きく存在をアピール
ニッタク契約選手
使用ラケット;ルデアック
使用ラバー
 フォア面:レフォーマ
 バック面:ハモンドプロα


好青年---、いまの言葉ではイケメン、となろうか。
目鼻立ちの整った顔立ちに、はっきりとした受け答え。質問の意図を瞬時に読み取って的確に回答を寄せる、そんな明晰な頭脳をも合わせ持っている。

しかし、スポーツマンにしては体には恵まれていない。まして、日本を代表するようなアスリートとしては。ごく普通の大学生のようである。
ところが、ひとたびコートに向かえば、パワー溢れるボールとガッツを連発して繰り出し、いまや日本の若手選手の代表格にまで成長を遂げた。

時吉佑一、名門・早稲田大学の3年生にしてエースである。

ジェットエンジンを搭載しているかのようなバックハンドドライブ。目の覚めるようなカウンター。
いったい彼のどこにそんなエネルギーが潜んでいるのか。彼はなぜ、大きな飛躍を果たしたのか。そこには、人生を賭けた親子鷹の一世一代の大勝負があった---


天から母が届けてくれた「奇跡の一球」を忘れない


「佑一、いつになったら優勝するところを見せてくれるの?」

いつも応援し見守ってくれていた母・幸子さんには卓球の経験がなかった。
上位には進出するものの、優勝できずにいた時吉に幸子さんはそう言った。中学に入学するころだった。

その幸子さんが病に倒れた。ガンだった。
1年3ヶ月間、壮絶な闘病生活を送る。
毎日のように病院へ看病に通っていた重敏さんも、疲労のため救急車で運ばれてしまう。
そして、時吉が中学2年になったばかりの5月1日、幸子さんは帰らぬ人となった。39歳という、あまりにも早過ぎる死だった。
このとき時吉は遠征中で、最期のときには間に合わなかったという。

時吉は決意した。
〈どうしても今年の全日本カデットは優勝しよう。いつも応援してくれた母のために...〉
「次のカデットは絶対に勝ちます。優勝します」

 と、誓うように時吉が言っていたのを覚えている人もいる。

そして迎えた全日本カデット。母の死から6ヶ月が経っていた。
順調に勝ち進み、決勝戦となった。
21点制のその試合、激しい競り合いとなり、セットオールで20‐19と時吉がわずかにリード。
ここまでくると、何が勝敗に影響するか誰にもわからない。

次のラリー。時吉の放ったボールは、吸い込まれるように相手のコートのエッジをかすめた。奇跡的な一球だ。
何が起こったのかわからない時吉。
少しの時間をおいて優勝したことを理解し、思った。
〈これは母がくれたプレゼントだ。天から届いた奇跡の一球だ〉
涙が止まらなくなった。
ベンチにいた重敏さんもまた、同じことを考え堪え切れなくなっていた。初めての優勝は、劇的で忘れ得ぬものとなった。

その後、東山高校から早大に進み、いま勝負のときを迎えている。

タイペイオープンのアンダー21で優勝した時吉選手


「今度の全日本ではベスト4を狙います。まだ優勝する力がないことはわかっています。でも、数年のうちに日本一になり、世界で戦える選手に必ずなります」(時吉)

初めて勝ち取った表彰台の頂点は、母・幸子さんの力だったかもしれない。
しかし、
〈次の目標である日本一は自らの力で勝ち取って、天空の母に見てもらおう。きっと母もそれを望んでいることだろう〉

時吉はいま、そう心の中で固く誓っているに違いない。
フルスイングする魅力、まだ全てを出し切っていない潜在能力。
それをどこまで出し切るか。
そして、頂点への階段をどこまで上っていくだろうか...

詳細は「ニッタクニュース2006年9月号」に掲載しています
マンスリースペシャルは NITTAKU NEWS より抜粋してウェブ上で公開しています。

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