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昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。
※ここに紹介の記事は、原文を一部抜粋、編集しています。敬称略
QアンドAとエピソードでつづる世界選手権おもしろ史
第26回大会1961(昭和36)年~第28回大会1965(昭和40)年
61~65年は、日本と中国の「2強時代」に。中国大躍進の秘密はどこに?そのとき活躍した日本選手は?
――1960年代に入り、61年の北京大会(中国)から65年のリュブリアナ大会(ユーゴ)までの5年間は「日本と中国の2強時代」になったわけだね。
……北京大会の男子団体で、荘則棟を柱とする若い前陣速攻の中国が日本の6連覇をはばみ、初優勝。それから65年までの5年間は、男女団体の決勝のすべてを日本と中国の間で戦い、男女シングルスの優勝者もこの両国からしか出ていない。まさに「日・中の2強時代」であった。
中国が大躍進、なぜ?
――中国の大躍進の秘密は?
……人により、いろいろな見方があるが、動かしがたい事実を挙げる。
①ナショナルチームを58年にスタートさせ、有望な選手たちを集めて特別な訓練をする仕組みを作ったこと(日本は、08年にナショナルトレーニング・センターができた)。
②若い伸びざかりの選手を積極的に海外へ派遣したこと(61年の男子単で19歳の荘則棟が1位、18歳の李富栄が2位となっているが、ふたりはその前にヨーロッパ遠征で経験を積んでいる)。
③速攻とカットの両方を強化したこと。
前陣速攻を中心にしながら、カットの選手を育てる基本戦略を推し進めた。日本など戦う相手とすれば、速攻対策も必要、カットに対する“遅攻対策”も必要で、打倒中国が難しかった。男子でいえば、張燮林、女子でいえば林慧卿と鄭敏之がカットの代表である。国内の団体戦には、「必ずチーム内にカットマンを入れること」などの大会ルールを作って、カットマンの養成にも力を注いだ。
④“技術革新”の先頭に。
50年代は、日本が新しい技術や戦術を開発して、世界に新風を吹き込んだ。
だが、60年代以降、今日までの技術革新は、そのほとんどを中国が先頭に立って実現している。徐寅生中国卓球協会会長を中心とする人びとが“英知”をしぼり、世界ナンバーワンないしは世界のトップにいながら、なおかつ技術革新に絶えずエネルギーを注いでいるところに、長期にわたり中国が世界のトップを走り続ける大きな原因がある。60年代の前陣速攻、70年代の「異質ラバーによる反転プレー」(性能の大きくちがうラバーをラケットに貼り、サービスやプレー中にラケットの裏表を持ちかえてプレー)、投げあげ/ぶっつけ/しゃがみ込みサービスなどの新種のサービスの開発、さらには近年の「ペンホルダーラケットの裏面で打つバックハンド攻撃」……などである。
……この時代に活躍した日本選手については10/22に配信!
藤井基男(卓球史研究家)
1956年世界選手権東京大会混合複3位。引退後は、日本卓球協会専務理事を務めるなど、卓球界に大きく貢献。また、卓球ジャーナリストとして、多くの著書を執筆し、世に送り出した。特に卓球史について造詣が深かった。ニッタクニュースにおいて「夜明けのコーヒー」「この人のこの言葉」を連載。
本コーナーは藤井氏から「横浜の世界選手権に向けて、過去の世界選手権をもう一度書き直したい」と本誌編集部に企画の依頼をいただいた。執筆・発行の14日後、2009年4月24日逝去