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ニッタクニュースの人気コーナー「日本の肖像」から編集部がピックアップしてお届けします。
日本の肖像とは、各界でご活躍されている卓球人にご登場いただき、卓球を通じて学んだこと、その経験を生かした成功への道を語っていただくコーナーです。
第2回は2019年9月号より、河合秀文さんです。
※所属・年齢・事実は掲載当時のまま
文■石川守延
写真■安部俊太郎
監修■沼田一十三
株式会社明石スクールユニフォームカンパニー 代表取締役社長
河合 秀文(かわい ひでふみ)
岡山県倉敷市が起点の明石被服興業は、創業150周年を迎え、明石スクールユニフォームカンパニーを発足。「富士ヨット」ブランドの学校制服ひと筋に製造・販売し、全国展開している。小学時代は会社の敷地にあった卓球台で遊び、一橋大学では卓球部に入部。代表取締役就任後は、社内の健康増進センターに念願の卓球台を設置した。Tリーグ・岡山リベッツとスポンサー契約を結び、卓球とのつながりが再び強くなりつつある。
小学校時代は身近にあった卓球!中学・高校は地味で灰色の時代
1957(昭和32)年、岡山県倉敷市生まれ。父親が経営する明石被服興業株式会社の食堂に卓球台があり、近所の友だちと小学校低学年の頃からピンポンに親しみ始めた。初めてラケットを握ったときの記憶がないほど、必然的で自然な卓球との出会いだった。当時は野球やドッジボール、バレーボールが得意で、ボールを持って走ると、ただ走るよりも速く走れるほどの無類の球技好き。ひまさえあれば壁に向かって野球のボールを投げて過ごす毎日に、友だちとの卓球遊びが加わった。
倉敷市立琴浦中学校では、「野球部は無理。卓球がちょうどいいかな」と、軽い気持ちで卓球部に入部。卓球台は体育館の隅にひっそりと置いてあり、活動自体も活発ではなかったため、本格的な指導も受けなかった。当時の記憶があまりないほどの、名ばかりの卓球部員だった。
岡山県立児島高校に進学し、卓球部入部も考えたが、先輩・後輩の厳しい上下関係が苦手な性格だったこともあり、「高校では部活はしない。スポーツは大学に入ってから」と決断。部活には入らず受験に備えた。
部活の練習後に夜中まで卓球。大学で本当の卓球デビュー
姉が東京の大学に通っていたため、「進学するなら東京に」と決めていた。一橋大学を選び、社会学部に入学。どのスポーツをやろうかと迷ったが、同級生の岡田敏宏、加藤正美両君に誘われ、卓球部に入部した。岡田さんは経験者。加藤さんは初心者で、同様の自分も加藤さんが一緒なら安心だった。
1年次は初心者同士、加藤さんと練習をすることが多かった。当時、小平市の学生寮にはレクリエーション用の卓球台があった。寮生だった加藤さんと夜中まで練習し、何度もそのまま泊めてもらったことをよく覚えている。国立本校の体育館での練習は週4日。最初は、まったくボールの動きを追えなかったが、加藤さんと練習を積んでいくと、ラリーが続くようになってきた。その上達の感覚が面白く、規定練習前後に自主練をすることもしばしば。大学生になってはじめて、本格的な卓球デビューを果たしたといえる。
現役時代愛用のマイラケットでポーズ。最近はシェークハンドに挑戦中だ
惜しくも逃したレギュラーの座。OBの交流は現在も続く
同大卓球部では、レギュラーになるために部内予選があり、3年次に初参加。すでに燃え尽きていた同級生を尻目に勝ち進んだが、あと一歩届かず。「一度はレギュラーに!」という願いが叶わず、卓球人生の中でいちばん悔しい思いをした。
一方、提携の津田塾大学卓球部のコーチに指名され、週2回、おもに新入部員の指導をした。両校の卓球部員同士のカップル誕生は珍しくなく、現在に至るまで仲睦まじい家庭が多くある。卒業をするとき、彼女たちから感謝の寄せ書きをもらったのは、うれしい思い出だ。
アットホームでなごやかな一橋大学卓球部は、OBと現役部員の交流会「一卓会」を定期的に開催している。同級生には地方出身者が多く、いろいろな文化で育った個性的な仲間たちと交流出来たことが刺激になり、縁は今でも続いている。
会社に念願の卓球台を復活。Tリーグをスポンサーとして支える
将来に向けて実学を勉強すべく、社会学部修了後に商学部に編入、卓球部に顔を出しながら2年間、つごう6年間を一橋大学で過ごした。岡山に戻り、明石被服興業へ入社し、カジュアル事業を担当した。仕事が忙しく、卓球とは疎遠になった。小学時代に置いてあったはずの卓球台もすでにない。「いずれ、どこかに卓球台を置きたい」と、ずっと考えていた。
2005(平成17)年、代表取締役社長に就任。4年後、社員の福利厚生の一環として、本社内にトレーニング・マシーンやヨガ・スペースを備えた健康増進センターを開設。念願の卓球台を設置した。
2018年2月頃、Tリーグに岡山を拠点とする岡山リベッツが出来ることを知った。前田健太郎スクールスポーツ部部長が自主的にリベッツに電話をかけ、面会することになった。「岡山を一緒に盛り上げたい」という思いが一致し、スポンサー契約を結ぶことになった。これがきっかけとなって、社内にも卓球が浸透しつつある。
岡山リベッツのユニフォーム前面には「AKASHI S.U.C.」が堂々とプリントされている。企業名の露出が増えたおかげで、営業先で「私も卓球をやっていたんですよ」と話が盛り上がることも増えた。
思わずつながったTリーグ、そして卓球との新たな縁。現在は、スポンサーとして卓球界をバックアップしながら、日本人世界チャンピオンの誕生を待ち望んでいる。