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昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。
※ここに紹介の記事は、原文を一部抜粋、編集しています。敬称略
QアンドAとエピソードでつづる世界選手権おもしろ史
第25回大会1959(昭和34)年3月27-4月5日 ドルトムント(西ドイツ)
世界チャンピオンをはずし新人補強の大英断で、日本6種目に優勝
スポンジ禁止は“日本たたき”か
――大会の会期中にひらかれた国際卓球連盟総会では、72対19の大差で「スポンジ禁止・ソフトラバーは厚さ4ミリ以内、粒ラバー(一枚ラバー)は厚さ2ミリ以内」という用具規制案を採択。7月1日から実施された。これは、ボンベイ大会以来、日本がスポンジや裏ソフトで優勝していることに対する“日本たたき”なのかな?
……そういう面もあるかもしれないが、卓球の発展のためには、ラバーの規格化が必要という考えから、国際卓連は2年前から調査・研究を開始し、決定した。「過去2年間におけるわれわれの仕事のほとんどは、ラケットを規格化することに集中された」と、当時の国際卓連総務主事のエバンス(のちの会長)が語っている。
●こぼれ話
文筆家のオギムラ
荻村伊智朗は、すぐれた文筆家でもあった。現役の最中にそれも世界選手権の期間中に、毎回、朝日新聞に書いている。以下はその一部―。
「(男子団体決勝の)ハンガリー戦では星野・村上が今までの代表たちに勝るとも劣らない一生一代の当りをした。彼らのがんばりを見ながら、さすが日本の代表だとつくづく思った」
「松崎はきれいで美しいスマッシュを放ち…」
「(容国団は)ロングとショートのコンビネーション良くシドを前後にゆさぶり、頭のいいすばらしいプレーで」優勝した。
(59年4月2日付けと、7日(?)付け)
藤井基男(卓球史研究家)
1956年世界選手権東京大会混合複3位。引退後は、日本卓球協会専務理事を務めるなど、卓球界に大きく貢献。また、卓球ジャーナリストとして、多くの著書を執筆し、世に送り出した。特に卓球史について造詣が深かった。ニッタクニュースにおいて「夜明けのコーヒー」「この人のこの言葉」を連載。
本コーナーは藤井氏から「横浜の世界選手権に向けて、過去の世界選手権をもう一度書き直したい」と本誌編集部に企画の依頼をいただいた。執筆・発行の14日後、2009年4月24日逝去