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ニッタクニュースの人気コーナー「日本の肖像」から編集部がピックアップしてお届けします。
日本の肖像とは、各界でご活躍されている卓球人にご登場いただき、卓球を通じて学んだこと、その経験を生かした成功への道を語っていただくコーナーです。
第5回は2017年9月号より、宇都宮健児さんです。
※所属・年齢・事実は掲載当時のまま
文・写真■編集部
弁護士・東京市民法律事務所所長
宇都宮 健児(うつのみや けんじ)
「多重債務者」の救済などで知名度の高い元日弁連会長の宇都宮健児さん。愛媛県東宇和郡(現西予市)明浜町田之浜で生まれ、小3まで過ごした。父は、過酷な労働を強いられる段々畑を借りて芋や麦を作り、夏場は櫓で漕ぐ「伝馬船」の一本釣りと、半農半漁で家族を養った。…母校・赤門のお膝元、文京区本郷に構える法律事務所を訪ねた。
生活を支えた段々畑と伝馬船。豊後水道渡り国東半島に入植
伝馬船には健児少年もよくついて行ったという。夕方に出港して朝方まで夜を明かして鯵や鯖、鯛を釣った。少年は、夜中には船上で寝入ってしまうが、明け方に目覚めれば櫓を漕いで、父が流し釣りをしてハマチを獲る手伝いをした。
半農半漁の暮らしは厳しく、そこからの脱却を目指して、家族は豊後水道を渡って、対岸の国東半島の杵築市の山の頂上近くに入植した。小3の2学期のこと。密林の木を切り倒して畑を少しずつ拡げていき、後に2町6反ほどのみかん農家となった。
中学校は親元を離れて熊本へ。夢はプロ野球選手になり親孝行
戦後のベビーブームを迎え、小学校の先生と両親は「これからの時代は教育が大切」と相談し、母の故郷で母の兄弟が住む熊本に預けることにして、家族と離れて単身、健児少年の熊本市立西山中への進学を決めた。
「小5の頃、立教大学野球部の三羽がらすと言われた長嶋茂雄、杉浦忠、本屋敷錦吾選手が、べらぼうな契約金でプロ野球に入団したことを知りました。学業をという大人たちの思いとは別に、私は小3から続けていた野球で、全国優勝の県立濟々黌高に進んで甲子園に出て、プロで活躍して親孝行出来たら、という思いで野球部に入りました」
しかし、西山中野球部で一年間努力してみたものの、周りには運動能力が高く体格もいい都会のリトルリーグで鍛えられた野球上手が百人超在籍。身長の低い自分が、その中でレギュラーを取るのは難しいと痛感して、夢はあきらめざるを得なかった。
男子のみの不人気な卓球部に。野球と共通ボールコントロール
勉強で身を立てるかと思ったが、何か運動は続けていきたいと、卓球部の門をたたいた。
小学校でピンポンをやった記憶や日本の卓球は体操と共に強かったので関心も高かった。「文武両道」が評価され、勉強だけ出来てもダメだという九州の気風も後押しした。
入ってみると部員は5人弱の男子のみと不人気、体育館は他のクラブと共同使用。市内でのレベルも低い。それでも「卓球は体格に影響されず、練習すればするほど上達するので努力しがいがある」とのめりこんだ。ボールコントロールという野球との共通点も魅力だったかもしれない。市内ではベスト4に入っている。
進学校の熊本高校に入学、迷わず卓球部に。親戚筋から「運動部なんかやめて、学業に専念したらどうか」と言われたが、どうしても好きだったので「学業成績が落ちたら卓球をやめます」と宣言した。
放課後に練習、下宿先に帰ってご飯を食べて、夜中まで寝て、そこから朝4時まで勉強、少し寝て学校へ行くという日々を3年間続けきった。入学時に中ぐらいだった学業成績は、落ちるどころか3年次にはトップクラスに躍進、東大に現役合格を果たした。
地元でも話題になり、熊本日日新聞の進路特集に「県団体3位の宇都宮健児 東大」と紙面に登場している。
プレースタイルは当時の典型的なペンホルダードライブ攻撃型
桂の単板マイラケットで
関東学生リーグで2部に昇格。在学時に司法試験合格で中退
東大でも当然、卓球部に。そのときの3年生が河合、木村、鈴木、山根と強豪揃い。先輩の力によるところが大きいが、レギュラーになった2年次には一度、関東学生リーグ戦2部に昇格という幸運にも巡り合えた。
「リーグ戦前にはいつも千葉県検見川の東大合宿所で1、2週間、みんなで泊まり込みの強化合宿をして備えた」と懐かしそうに振り返った。
3年秋のリーグ戦を最後に勉強に集中、3年から4年になる間の司法試験に合格した。
司法修習生は公務員初任給並みの給与が出るので、親に迷惑をかけぬよう、東大中退の道を選んだ。
消費者金融被害者の心を癒す。元気を与える卓球の力を実感
弁護士になってからも卓球とふれ合った。2007年頃、埼玉県桶川市のクレジット・消費者金融被害者が集まる「夜明けの会」では、月1回程のペースで卓球をしようと呼びかけた。深刻な被害で自殺まで考える人の心を癒し、元気を与える卓球の力を実感したという。同じような団体が47都道府県に80以上あり、それらにも声をかけ「東西対抗」の卓球大会を京都で開いたことも。
最近は多忙でプレーする機会が減ったが、ラケットを握ると自然と顔がほころぶ。卓球にいちばん元気づけられているのは氏自身かもしれない。