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昭和22年創刊、この5月に800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。
※ここに紹介の記事は、原文を一部抜粋、編集しています。敬称略
QアンドAとエピソードでつづる世界選手権おもしろ史
第3回大会1929(昭和4)年1月14~21日 ブダペスト(ハンガリー)
Q 卓球もテニスも世界―になった選手がいるって、ホント?
A イングランドのペリー
――卓球だけでも世界チャンピオンになるのは大変なのに、テニスでも世界ナンバーワンになった選手が一人だけいるそうだけど…。
……イングランドのフレッド・ペリーである。
子供のころ、食卓を壁際に寄せ、壁打ちで卓球のリズム感をおぼえたというペリーは、ブダペスト大会で優勝した。翌年には、ディフェンディング・チャンピオンとして出場するつもりであった。だが、大会の直前に母が亡くなったために、出場を取りやめた。
――そのこととテニスとどういう関係があるの?
……家に閉じこもっていた時期に、ペリーはテニスコートへ通うようになり、やがてテニスへ転向。1934(昭和9)年から3年続けてウィンブルドンで優勝し、テニスの4大トーナメントを制覇した最初のチャンピオンになっている。
勝っても負けても、いつでも幸せそうな表情をしているので、卓球でもテニスでも人気があり、テニスプレーヤーとなってからも卓球で鍛えたフットワークを生かし素早い動きをしたことが『THE Tennis』(紀伊国屋書店)に記されている。
また、月桂樹のロゴが印象的なアパレルブランド「フレッドペリー」としても有名だ。
――テニスの世界1だった人が卓球に転向して世界チャンピオンになった例はあるの?
……それはない。ペリーほどの実績ではないが、少年時代に卓球をやり、テニスの世界ナンバーワンになった選手にボルグ(スウェーデン)がいる。卓球で覚えたドライブがテニスでも役立ったという話を聞いたことがある。また女子で、江口冨士枝と1957(昭和32)年に世界女子シングルスの決勝を争ったヘイドン(イングランド)が、その後テニスに転向し、活躍した。卓球で鍛えた敏しょうな動きなどがテニスにも役立ったのであろう。
藤井基男(卓球史研究家)
1956年世界選手権東京大会混合複3位。引退後は、日本卓球協会専務理事を務めるなど、卓球界に大きく貢献。また、卓球ジャーナリストとして、多くの著書を執筆し、世に送り出した。特に卓球史について造詣が深かった。ニッタクニュースにおいて「夜明けのコーヒー」「この人のこの言葉」を連載。
本コーナーは藤井氏から「横浜の世界選手権に向けて、過去の世界選手権をもう一度書き直したい」と本誌編集部に企画の依頼をいただいた。執筆・発行の14日後、2009年4月24日逝去