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2020.09.29

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インタビュー新井卓将 「固定概念に刺激を与えて、可能性があることを知ってもらいたい」(2011年1月号から)

  • 丸子橋卓球スタジオ代表 新井卓将

昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。

 

2011年2~12月号に連載した新井卓将コーチ監修「Next Standard」のスタート直前インタビューを掲載!
指導者を志したきっかけや、指導する上での卓球観が語られています。
直近連載の「ちょこっと上達法」にもつながる新井コーチのエピソードをどうぞ。
*所属・年齢は当時のままです。
*ここに紹介の記事は、本誌記事を一部抜粋、編集しています。
本誌記事ページはこちら!

 

連載を通じて可能性があることを知ってもらいたい
新企画 新井卓将さんの技術指導連載スタート!!

 

フジテレビ新春かくし芸大会008やNHKの音楽番組「どれみふぁワンダーランド」など、様々なテレビ番組で指導、出演をされている新井卓将さん。
2003年神奈川県川崎市に丸子橋卓球スタジオを設置し現在も指導にあたっている。動画サイトにて様々な卓球芸や各戦型の基本技術などを公開されている新井さん。
次号より新井さんの新連載をスタートするにあたり、経歴や卓球に対する考え方など、お話を伺った。

 

恩師の死をきっかけに指導の道へ
――卓球を始めたきっかけは。
新井 両親が卓球をやっていて、父のクラブで姉が卓球を習っていたので、5歳くらいから姉の練習にボール拾いなどで参加するようになって一緒に始めました。
その後は、小学校2年生のときから丸善クラブに入門しました。
――戦型は。
新井 右シェークのカットマンです。基本的にはカットマンでしたが、中学の時に1年間攻撃マンもやっていました。高校でもカットマンとしてやっていましたが、カットでは分が悪い相手には攻撃で試合をしていました。
――指導を始めたきっかけは。
新井 高校3年生の時に、肘の病気でラケットが振れない状態になったことがあったのですが、信号器材に入社してからも胸郭出口症候群という病気で、右手が麻痺して動かなくなってしまいました。
卓球部を辞めないといけなくなり、その頃は生活も荒れていたと思います。しかし、その年の11月くらいに丸善クラブの恩師が亡くなったのをきっかけに、僕も指導の道に進みたいと思うようになりました。
――交通事故に遇われたとお聞きしていますが。
新井 右手の粉砕骨折と中指が裂けてしまう事故に遭いました。一時は切断ということだったのですが、何とか大きな病院を見つけてすぐに手術をしたため切断は免れました。その後5回の手術とリハビリを繰り返し、現在も後遺症として中指と薬指が不自由となり、薬指は完全に動かなくなりました。
――それでも指導は続けようと思われたのですか。
新井 医者に卓球は無理だと3回言われましたが、ここまできたら卓球しかないなと思いました。
もう指が動かないとなったときに、主治医と相談してシェークもペンもできるように色々と計算をして指の角度を60度に固める手術を受けました。
――実際に指導を始めてみてどうですか。
新井 卓球をやってきたのですぐにできるだろうと安易に思っていたのですが、指導ごっこはできてもきちんと生徒さんに説明してあげることができなかったり、自分の中で構築した理論がなかったことに気がつきました。
自分が納得できるような理論や、自分が体現できるようになることを意識してずっと追求しながらやってきました。

 

丸子橋卓球スタジオの様子。様々な年齢層の生徒が訪れる。

 

卓球はボール遊びの延長
――ところで、動画サイトで色々な技を公開されていますが、やろうと思ったいきさつは。
新井 レッスン等で色々な技をやるようになって、その中で自分が納得できるレベルでやれるようになったのと、卓球のパフォーマンスを撮っている人が少ないというので僕がやりたいと思いました。
まずは、卓球芸を紹介しながら各戦型の技術が説明がなくても見れば分かるようにというイメージでやりだしました。
――技の開発というのは。
新井 はじめはバスケットボールのハンドリングやサッカーなど、他の競技の技を卓球にも生かせないかなと思い、始めました。
股抜きカットもバスケットでは普通に行われている事で、卓球でやってみたらできたので、種類を増やしていこうということでやりました。
――器用に何でもやりこなしている印象を受けましたが。
新井 僕は基本的に不器用だし身体も硬いので、丸善クラブ時代のへたくそで不器用な僕を知っている人はお前が指導しているのかと言いますね。
今の僕だけを知っている人は、器用でいいよねとか、身体や指が柔らかいよねと言いますが、実際指は動かないんですけど。
僕の映像を見ていたら、戦型をペンだと思う人も多くて、シェークカットだというとびっくりされますね。そこが狙いでもあったのですが、そこまでのレベルで体現できるようになったという自信があったので、アップしました。
それまではシェークの人がペンで遊んでいるくらいでしかなかったのですが、インストラクターとして自分の理論を体現したかったのです。
――卓球という競技はどのような競技だと思いますか。
新井 基本的にボール遊びの延長として考えています。そうじゃないと厳しすぎてミスしちゃいけないとか、硬くなってしまいますから。
卓球をやっている人の9割くらいは恐らく世界チャンピオンを目指しているわけではないと思います。趣味であったり、遊びとしてやっている感じだと思います。ミスが多い競技なので、ミスを恐れずにどんどんチャレンジして、手軽にやっていくようにしています。空振りOKでミスしてくださいというようにやっています。
――初心者を教えるときは。
新井 初めから卓球の厳しさを教えるというか、ラリーとか速いドライブを打ったり、曲げたり、まずは卓球を知ってもらうようにやっています。初めからゆっくりだとそれに慣れてしまって卓球感が狭くて薄いままやってしまい、そこから急に速くしてもできないと思います。
その人のやれる範囲のプラスαの位置で練習をして伸ばしていってあげたいと思っています。可能性を引き上げたいですね。
――指導していて面白いことは。
新井 今までの卓球の常識というのには矛盾や問題点があると思っています。僕にとってはそれを変えていける可能性があることが楽しいですね。理論を説明してあげると、なるほど、と笑顔になってくれます。そして、上手になってくれるのが楽しいです。
――指導で卓球観が変わりました。
新井 ドーンと変わりましたね。これが卓球だなと感じました。
レッスンをしていて、卓球は時間と空間のスポーツだということが分かってきて、理論を元に色々な技術に応用が効くようになってきました。
特にペンホルダーはおもしろくて、簡単に言えばペン回しと同じです。僕の生徒さんもシェークからペンに変える人も多いんですよ。
ペンの人でも裏面を貼ってどんどんチャレンジする人が多くて、卓球観が広がると思います。
――次回から新井さんの卓球指導がスタートしますが、連載にあたって何か一言。
新井 読者の方の卓球観というか、固定概念に刺激を与えて、開けるような連載にしていきたいと思います。
可能性があることを知ってもらいたいと思います。

 

テレビ出演した際の写真がスタジオに飾られている。