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2020.12.10
【世界選手権おもしろ史24】「“史上初”の歴史を残した千葉大会。コリア統一チーム、ブルーの卓球台、37万人超の入場者数を記録」 (2009年5月号から)
昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。
※写真は1991年7月号ニッタクニュースから
QアンドAとエピソードでつづる世界選手権おもしろ史
第41回大会1991(平成3)年4月24日-5月6日 千葉市(日本)
ブルーの卓球台にオレンジ球/コリアチーム統一など、“史上初”が重なり、世界卓球史上最高37万人の入場者を記録した千葉大会
――83年の東京大会では、約5万9千500人の入場者だった。大会期間中を合計してね。千葉大会では、それを大きく上回る入場者数だったね。
……「地球卓球家族大集合」という構想のもとに地球ジュニア、地球レディース、地球マスターズ大会も会期中に開催したりしたので、37万7053人という史上最多の人数が競技会場の幕張メッセに集まった。
3つの“史上初”
――千葉大会で初めて採用されたことは?
……併設大会の開催を除くと、次の3つである。
①ブルーの卓球台、オレンジ球など
「暗緑色の卓球台に白球」というのが日本卓球界における長年の伝統であったが、国内と国際ルールを変え、「明るいブルーの卓球台」に「オレンジ球」が初めて使われた。白色ユニフォームの着用もOKとなり、場内が明るくなった感じがした。
②男子団体を5点制に
男子団体戦を、9点制から5点制(3勝すれば勝ち)に変えた。これにより、テレビ時代にふさわしく、競技時間が大幅に短縮された。
③コリア統一チームによる参加
韓国と北朝鮮は別々に国際卓球連盟に加盟し、別々に大会参加してきたが、民族の長年の夢である統一チームによる参加が初めて実現した。「第2のピンポン外交」とも言われ、マスコミは大きく報道した。その上、大会最初の決勝種目である女子団体戦の決勝で「コリア」が9連覇ねらいの中国を3対2で破った。ラストのユ・スンボクが高軍に21-19、21-19で競り勝つという劇的な試合で、NHKが3時間以上にわたってテレビ放映をした。表彰式では、民族の歌「アリラン」が国歌にかわって演奏され、スタンドの合唱とあいまって感動のシーンだった。荻村伊智朗国際卓球連盟会長は、コリア統一チーム実現の功労により、ユネスコ国際フェアプレー賞と朝日スポーツ賞を受賞した。
卓球台が鮮やかなブルーに、ボールはオレンジに。奥は男子単で2年連続パーソンと対戦したワルドナー(スウェーデン)
女子団体優勝のコリア。左から南北両コーチ、洪次玉、ユ・スンボク、玄静和、リ・ブンヒ
“グレート・サクセス”
男子は、ワルドナーとパーソンの二枚看板の全盛期でスウェーデンが男子団体、男子シングルス(パーソンとワルドナーで決勝)、男子ダブルスに優勝。
ゲストとして大会を観戦されたサマランチ国際オリンピック委員会会長が、大会は大成功だった、と5月6日の閉幕後に語った。
――「great success」という表現だったね。
……秋篠宮殿下を大会名誉総裁にいただき、千葉県(沼田武知事)、千葉市(松井旭市長)、日本卓球協会(岩村英郎会長)を中心に構成された大会組織委員会の努力はもちろんだが、開会式の浅葉克己(アートディレクター)、神津善行(作曲家)両総合プロデューサーをはじめとする多くの関係者の協力のおかげによるものであった。
大会名誉総裁として臨席した秋篠宮殿下と同妃殿下。秋篠宮殿下は大会開会宣言をのべられた
開会式セレモニーの話題となったのは京都の舞妓さんによる卓球。幻想的なシーンだった
●こぼれ話
ドーピング検査とビール
ドーピング検査――国際オリンピック委員会、国際卓球連盟が使用を禁じている薬物を競技前にのんでいなかったかの検査――が大会会期中に行われた。参加108協会の中から22協会の92選手を選んで行われた。
試合で汗をかいた直後なので、検査用の尿が出ない選手もいる。そういう人のためにビール、ミネラルウォーター、スポーツドリンク、ジュースが用意された。一度目の検査でビールがあると知ったスウェーデンのアペルグレンは、その後、検査対象に選ばれていないのに、ここへたびたび通った。ビールを飲むために。団体優勝の裏に無料ビールあり!?
各種目の優勝
男子団体:スウェーデン(ワルドナー、パーソンら)
女子団体:コリア(ユ・スンボク、玄静和ら)
男子単:パーソン(スウェーデン)
女子単:鄧亜萍(中国)
男子複:カールソン/フォンシェーレ(スウェーデン)
女子複:陳子荷/高軍(中国)
混合複:王涛/劉偉(中国)
(※コリアのカタカナは北朝鮮選手)
藤井基男(卓球史研究家)
1956年世界選手権東京大会混合複3位。引退後は、日本卓球協会専務理事を務めるなど、卓球界に大きく貢献。また、卓球ジャーナリストとして、多くの著書を執筆し、世に送り出した。特に卓球史について造詣が深かった。ニッタクニュースにおいて「夜明けのコーヒー」「この人のこの言葉」を連載。
本コーナーは藤井氏から「横浜の世界選手権に向けて、過去の世界選手権をもう一度書き直したい」と本誌編集部に企画の依頼をいただいた。執筆・発行の14日後、2009年4月24日逝去