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昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。
QアンドAとエピソードでつづる世界選手権おもしろ史
第47回大会2003(平成15)年5月19-25日 パリ(フランス)
1ゲームが「21点制、サービス5本交代」から「11点制の2本交代」に。なぜ?
男子シングルス66年ぶりの快挙とは?
接戦・波乱の試合ふえ、時間短縮
――1926(大正15)年の第1回世界選手権以来、卓球競技は1ゲームを「21点制、サービス5本交代」で進んできた。それが前大会直後の01年9月1日から「11点制のサービス2本交代」に変わった。なぜ?
……接戦の試合や波乱がふえ、卓球の試合が“より面白くなる”こと。競技時間が少し短くなり、観るもの、大会運営するものの両方から歓迎される上に、テレビに乗りやすくなったこと、などの理由が考えられる。11点制に変わったことに伴い、何がどう変わったかを、01年大阪大会と比較しながらまとめたのが下の表である。
シュラガー優勝、66年ぶりの快挙
――パリ大会で、エキサイティングな試合や波乱がふえたの?
……男子シングルスは、前回完全優勝の中国選手同士による決勝も予想されたが、オーストリアのシュラガーが王励勤(前回優勝者)、孔令輝(前回2位)らを破って優勝。シュラガーは37年のバーグマン以来66年ぶりに母国にこの種目のタイトルをもたらした。
また、韓国からはじめて準優勝者が出た。それもカットを主体とする選手では、69年のシェラー(西ドイツ)以来34年ぶりの快挙で朱世赫が達成した。
――女子では?
……大きな波乱はなかった。中国選手と他国選手との実力の差が大きいため、と思われる。
――どうして接戦や波乱が起こりやすくなったの?
……21点制の時代には、サービスと試合運びのうまい選手がサービスを持つと、サービスと3球目攻撃で5本連取することが珍しくなかった。56年東京大会で大逆転した田中利明は15-20からサービスを生かして攻め込んでいるし、62年日中対抗で梁麗珍が16-19から「日本人が初めて見る投げ上げサービス」と3球目攻撃で連続得点し逆転している。番狂わせが少なかった。その点、11点制では、サービスが2本交代なので、一気に離したり、一気に挽回したりということが難しい。つまり、接戦や波乱が多くなりやすいということになる。
シュラガー優勝の瞬間
●こぼれ話
TV視聴率が巨人戦を超えた
“愛ちゃん効果”。それに加え、40ミリ球と11点制の採用が重なり、競技時間が短くなった上に、エキサイティングマッチが増え、卓球が最近テレビで放映されることが多くなった。それも2時間番組というような枠で。
07・08年を例にとると、両年とも世界選手権で好カードの試合がある日は、テレビ放映があった。07年の場合は、プロ野球の巨人戦よりも視聴率が高かったという。男女ともに3位に入った08年大会もテレビ視聴者が多く、関係者がテレビ局から表彰されたと聞く。09年横浜大会も07・08年と同様に、テレビ東京が放映すると決まっている。また、巨人戦を超えるか。
14歳で初出場し、ベスト8に入った福原愛
各種目の優勝
男子単:シュラガー(オーストリア)
女子単:王楠(中国)
男子複:王励勤/閻森(中国)
女子複:王楠/張怡寧(中国)
混合複:馬琳/王楠(中国)
※2001年大阪大会を除き1999年から団体戦と個人戦が分離開催されるようになった。パリ大会は個人戦のみ)
藤井基男(卓球史研究家)
1956年世界選手権東京大会混合複3位。引退後は、日本卓球協会専務理事を務めるなど、卓球界に大きく貢献。また、卓球ジャーナリストとして、多くの著書を執筆し、世に送り出した。特に卓球史について造詣が深かった。ニッタクニュースにおいて「夜明けのコーヒー」「この人のこの言葉」を連載。
本コーナーは藤井氏から「横浜の世界選手権に向けて、過去の世界選手権をもう一度書き直したい」と本誌編集部に企画の依頼をいただいた。執筆・発行の14日後、2009年4月24日逝去