TOPICS

ALL TOPICS

2022.07.28

#INFO

「仕事でつらいときなどは卓球での経験が生きたように思います」 日本の肖像 長南光明(2013年4月号から)

ニッタクニュースの人気コーナー「日本の肖像」から編集部がピックアップしてお届けします。

日本の肖像とは、各界でご活躍されている卓球人にご登場いただき、卓球を通じて学んだこと、その経験を生かした成功への道を語っていただくコーナーです。

第12回は2013年4月号より、長南光明さんです。

※所属・年齢・事実は掲載当時のまま

 

文■細谷正勝

写真■安部俊太郎

 

日本カーソリューションズ株式会社 取締役常務執行役員

長南 光明

 

今月は東大卓球部OB副キャプテンを務めた、日本カーソリューションズ(株)取締役常務執行役員の長南光明氏をゲストにお迎えした。卓球からは卒業以来遠ざかっているようだが、情熱と知識は旺盛で指導者論から技術論まで一気に約1時間半のインタービューだった。

 

小柄な野球少年を中学顧問が卓球に導いた

「現在は指導者のことが社会問題になっていますが、アマチュアスポーツは指導者の影響が大きいですね。その点、私は恵まれました」

1956年6月15日、福島市生まれ。

電力会社に勤めていた父親の転勤により秋田、福島、宮城を移動した。

卓球を始めたのは秋田市立土崎中1年から。小学のときは野球をやっていたが、身長が130センチ台だったため、「中学では通用しないだろう」と思っていた。そんなとき卓球部の先生が「小柄でも大丈夫なのでやってみないか」と誘ってくれた。指導法はスパルタ式で、市内でも強豪校として知られていた。

「始めてはみたものの、毎日トレーニングと素振りと球拾いだけ。ボールに触らせてもらえませんでした。しまったと思ったけど、あとの祭り。やめるにもやめられない雰囲気でした」

ボールに触れさせてもらったのは秋口からだった。中2になってからはレギュラーに。素振りの繰り返しで基礎ができていたおかげで、秋田市・県の新人戦でいずれも3位に食い込むことができた。

高校は福島県立会津高から宮城県立仙台二高へ。いずれも進学校で指導者もいなかったが、卓球は続けた。

 

名門東大卓球部で関東リーグ3部を死守

一浪して東大法学部へ。「1年から試合に出させてもらいました。入学当時、卓球部は国立大学ではかなり強かった。関東学生リーグ3部で、2部昇格を狙える勢いがありました。ところが私が上級生になったころは、4部には絶対落ちないぞ、が合言葉で、長谷川次彦監督等もそこに目標を定めて指導していました」

思い出の試合は秋季リーグ戦、千葉大との最下位決定戦。負けた方が4部との入れ替え戦に回るというきびしい試合。長南さんは終盤で登場したが、実力は伯仲で大接戦。結局ゲームカウント2対1で勝利を収め、何とか3部残留を決めた。「自分たちの同期などが集まったときはこの種の話で盛り上がるのですが、なにせ弱い世代の話です。現役たちは現在2部で活躍中。OB会などでは肩身が狭いので遠慮させてもらっています」と笑った。

「卓球は合計10年やりました。個人スポーツで頼りになるのは自分だけ。だれも助けてくれません。仕事でつらいときなどはこの経験が生きたように思います」

 

サッカーとの出会い。スポーツには通じるものが

大学卒業と同時に日本電信電話公社(現NTT)に入社。NTTでサッカー部長を経験。同チームのプロ化(現大宮アルディージャ)に遭遇。その時のコーチが現なでしこジャパン監督の佐々木則夫監督だった。また、元日本代表の加藤久氏が仙台二高の同級生とサッカーにも縁がある。「種目は違いますがスポーツマンの気持ちはわかるので、後押ししました。今もアルディージャのサポーターとして応援しています」という。

2009年6月に日本カーソリューションズに移り、現在に至る。同社は各種自動車のリース業務やメンテナンス業務などを行っている。1987年創業で、2005年にNTTオートリースとセンチュリーオートリースが合併し、現在の社名になった。

座右の銘は「率先垂範。また、合併を繰り返している会社なので、みんながついてきてくれるようにチームワークを大事にしています」

現在はサッカー観戦と上達しないゴルフが趣味。

しかし卓球は当然関心がある。テレビ放送があるときは欠かさず見ている。「愛ちゃん(福原)の復活は素晴らしかったですね。一昨年からフォアが格段に強くなったのが大きい」と解説してくれた。男子も若手の台頭が目立ち、育成プログラムが順調に機能していることにも話が及んだ。最近の情報はきっちりチェックしている。5月開催の世界選手権パリ大会が「今から楽しみです」と目を輝かせた。