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ニッタクニュースの人気コーナー「日本の肖像」から編集部がピックアップしてお届けします。
日本の肖像とは、各界でご活躍されている卓球人にご登場いただき、卓球を通じて学んだこと、その経験を生かした成功への道を語っていただくコーナーです。
第11回は2013年10月号より、中山哲也さんです。
※所属・年齢・事実は掲載当時のまま
文■細谷正勝
写真■安部俊太郎
大陽日酸株式会社 常務執行役員
中山 哲也
横浜国立大OBで大陽日酸株式会社常務執行役員の中山哲也氏をゲストにお迎えした。中学1年で始め、卓球歴は実に48年。今もさまざまな大会に出場している。「まるで実績の無い私が、このような企画に出てよろしいんでしょうか」と謙遜するが、貴重な体験の数々は興味が尽きない。
アルバイトで審判員
「中学に野球部がなかったので卓球部に入りました。卓球は小学時代、友だちの家に台があったので遊びでやっていました」
1953年(昭28)1月8日、東京生まれ。世田谷区太子堂中から卓球を始めた。中学ヘ入ったときは小柄で前から5番目、卒業の時には172センチで一番後ろに(現在は179センチ)。
「これも卓球効果です」
新宿高―横浜国立大へと進んだ。ペンホルダーのドライブ主戦タイプ。
「2年次の全国国公立大会でシングルスベスト16、3年次には同大会でダブルスベスト16になったのが最高の成績です。大した成績はありません」
当時の横浜国立大は関東学生リーグの3~4部にいた。
1974年に横浜でアジア卓球選手権が開かれ、県下の大学生が駆り出され、審判などのアルバイトを行った。そんな中で中山さんが体験したエピソードとは…。
「中国の若手ホープ・王家麟の試合の主審を務めました。相手選手は斜めに投げるぶっつけ気味のサービスでした。王選手は″あれは違反だろう″と目で訴えてくる。アルバイトで非公認審判の身なので悩みましたが、第5ゲームの早い段階で違反を取りました。
実に勇気のいる判断でした。ようやく勝利した王選手から『謝々(ありがとう)』と駆け寄られたシーンは今でも印象に残っています」
世界チャンピオンと対談
1975年3月に大学を卒業して三菱化学に入社。新潟・上越の工場に配属された。その翌年、のちに世界チャンピオンになった河野満氏と対戦することになる。当時は関東甲信越の各市対抗戦(団体)があって、河野氏は十日町市のエドヤに勤めていた関係で出場していた。
「勿論とても試合にはなりませんでしたが、ラケットの裏側を使い無回転でボールが飛んでくる伝説の『木べら』サービスも直に見ることができて、出た甲斐がありました。私のスマッシュは2~3本決まったかな?河野さんはこの半年後に見事に世界チャンピオンになられたので思い出ひとしおです」
冬の時代に日本卓球後援会
「卓球は長い付き合いの友だちといったところです。性格や人格にも影響を及ぼしたと思います。
負けて、負けての連続ですが、悔しいから勝つために練習します。1つのことを継続してやり続けることの大切さ、最後まであきらめない粘りの大事さを卓球が教えてくれました」
それだけ長い付き合いの中で卓球界発展のための協力もしている。
1980年代は元世界チャンピオンの長谷川信彦、河野氏が相次いで引退、日本卓球が冬の時代を迎えた。強くするための海外遠征も資金不足でままならなかった。
そこで日本卓球後援会という組織が生まれ、企業グループの代表の一人としてその手伝いをした。
「木村興冶さん(現日本卓球協会副会長)を中心に協力金を募りました。まずは企業にお願いしたのですが、それだけでは追いつかないので、一般からも会員を募集しました。このサポーター制度はつい最近まで続いていたと伺いました」
仕事に通じる卓球の醍醐味!体が動く限りは続けたい
卓球の醍醐味は、スピード・回転・コースどれをとっても同じことが二度と起こらず、短時間に連続して発生する未知の出来事への瞬時の対応が要求される点で、仕事にも通じるものがあるという。
「試合中はもちろん勝負にこだわりますが、終わった後の親睦会がまた楽しみ。年齢・性別・仕事を問わずの作ろうと思って作れる仲間ではないですからね」
卓球を始めて48年だが、地方勤務などがあり、本格的に大会に参加を再開したのは50歳のころから。
今では大会に足しげく参加している。全国マスターズ、東京選手権の東京予選、東卓リーグ戦、約40年の歴史がある三井・三菱・住友・芙蓉による企業4グループ戦などが主戦場。東京選手権には、かつて四日市勤務時代に三重県代表として本戦出場を果たしている。2004年横浜で開催された世界ベテラン大会にも単・複に出場した。
現在は、酸素・窒素・水素等の産業・医療用ガスのメーカーに勤務する傍ら、練習は地域のクラブチームなどで週1~2回積んでいる。
「その時は、まさにガス抜きです(笑)」
「体が動く限りは続けたい。仲間から世界各地で隔年開催される世界ベテラン大会に一緒に出ないかと誘われるのですが、それはリタイアしてからの楽しみにとってあります。長年休みに試合で家を空けていた罪滅ぼしに家内と海外旅行を兼ねて」
ラケットを持ってポーズをとってもらった。現役続行中とあってさすがに構えが決まっていた。
表情も生き生きとして楽しそうで「中山さんは心から卓球が好きなんだな」と感じた。