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ニッタクニュースの人気コーナー「日本の肖像」から編集部がピックアップしてお届けします。
日本の肖像とは、各界でご活躍されている卓球人にご登場いただき、卓球を通じて学んだこと、その経験を生かした成功への道を語っていただくコーナーです。
第20回は2011年9月号より、鵜澤靜さんです。
※所属・年齢・事実は掲載当時のまま
文■細谷正勝
写真■安部俊太郎
日清紡ホールディングス株式会社取締役社長
鵜澤 靜
一橋大学卓球部出身
今月のゲストは日清紡ホールディングス株式会社取締役社長の鵜澤静さんをお迎えしました。
これまで東大卓球部のOBの方にはたびたび登場していただきましたが、一橋大卓球部OBは鵜澤さんが初。マネージャーとして手腕を発揮され、全国国公立大大会の準備の際には今では考えられないようなとんでもない失敗談も。
「企業・組織は平時はバタバタしないですね。もちろん緊急時は24時間フルに働くことになります。そのためには企業も家庭もトップが元気じゃないといけません」
3.11の東日本大震災で日本全体が元気をなくしている。こんな時こそトップの元気が重要という。前日どんなに遅く帰宅しても午前4時30分から5時に起きて、散歩を欠かさない。ニュースを聞きながら市川・真間川の土手を約1時間歩いてから出社する。
「とにかく気分転換になります。新鮮な気分でいろいろなことを考えられるし、季節の変わり目がわかります」
1946(昭和21)年1月30日、千葉県生まれ。多古中で卓球を始めた。当時は長谷川信彦さん、大関行江さんの全盛時代で、迷わず卓球部を選んだ。ペンの裏ソフトで攻撃型。中学時代は一生懸命打ち込んだ。県立匝瑳高1年の時の15キロマラソンでひざを痛めて卓球を断念するハメに。
「当時のトレーニングといえば長距離走やうさぎ跳びが主でした。あのころのやり方は問題がありましたね」
一橋大商学部に進学、2年先輩に高校時代の恩師の子息がいたため、卓球を再開することに。ケガの後遺症が尾を引き2年からマネージャーに就任した。
「実は国公立大大会の運営資金として集めた100万円を中央線の網棚に忘れたことがありました。今だったら考えられないでしょうけど、それがちゃんと出てきたんです。本当にのんびりとしたいい時代でした」
当時の一橋大は関東学生リーグの3部に属し、国公立大大会では東京教育大(現筑波大)、東大、一橋大が強かった。3商大(大阪市大・神戸大・一橋大)戦も大いに盛り上がった。
「厳しかったけどおおらかで、濃厚な経験でした。部活はリーダーもいるし、参謀もいる立派な組織。同じ経験を共有しているだけに、仲間意識が強い。最近は運動部に入る人も少なくなったようですね。ただひたすらゲームに熱中している若者たちの将来が心配です」
一橋大の卓球場は狭くて、長い球を打つとすぐに壁に当たったそうだ。
「当時は16工場があったので、まともにやれば工場長になれるかもと思った。ポストがありそうだなというのが志望の理由です」
69年に日清紡に入社、同期は19人だった。社名が示すとおり当時は80%以上が繊維関係だった。それが今は20%で、メインは環境とエネルギー。エレクトロニクス、繊維、自動車ブレーキ、メカトロニクス等を扱う「環境カンパニー」に様変わりしている。大学での専攻は経営学。大手銀行が1000人単位で採用する時代。金融を選ばずに面白そうな仕事がしたいということで日清紡に入ったが、希望する営業には無縁で経理部門が長かった。
「入社してから92年に本社勤務になるまで、本社にいたのはわずか2年半でした。自分は完全に傍流にいるなと感じていました」
卓球は日本人にとっていいスポーツ
工場、大阪、海外を転々とした。88年に米国へ派遣された。英語は苦手だったが、貴重な体験をしている。
「海外では東京を向いて仕事をしていたらバカにされるということがわかりました」
01年に取締役経理本部長に。04年に常務取締役、07年に取締役専務執行役員、09年4月に発足した持ち株会社日清紡ホールディングスの取締役社長に就任した。
「高校で足を痛めて卓球をやめざるを得なかったことが今でも残念です」
若い社員には石の上にも3年ということわざがあるように、そこまでやってから考えろといっているという。
ただ一生懸命やってみる。こういうことが必要だと力説している。
また、「遅くまで残業している社員には電気代のムダとよく言っています。会社に残ってやらなくても、仕事のことはいつでも考えられるんだ」と言い聞かせている。
好きな言葉は『一期一会』。旅が大好きで何もないときはあまり知られていないところへ行きます。どこかで誰かに偶然あったり、旅人とどっかでお会いしましたねなどと会話するのが好きです」
当てなくどこかを歩くのが趣味で、思い立ったらフラッと出かける。そこへ行くまでの過程が面白く、たまたま目的地が同じ人と「昨日も会いましたね」などと会話するのが楽しみという。今一番行きたい場所は佐渡の相川。学生時代の貴重な思い出の地だ。宿も取らずに訪れ、ゴザを買って浜辺で寝ようとしていたら、「家に泊まりな」と言われて、世話になった上に朝食も出してくれたという。ただしプライベートで海外に行くことはない。
「日本の卓球はもう一息だけど、外を知らなきゃダメだと思います。世界を体験しないとね。卓球は日本人にとっていいスポーツ、ハンディが少ない。中国の工夫を上回る工夫をして欲しいと思います」
自身は卓球はやっていないが、興味はある。2011年世界選手権ロッテルダム大会は仕事先の上海でテレビ観戦した。
「日本でももっと地上波で放送してほしいですね。そのためには強くならなければね。世界選手権のラリーを見ながら『自分だったら絶対に空振りするだろうな』と思いました」と笑った。