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昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。
QアンドAとエピソードでつづる世界選手権おもしろ史
卓球はどのように発展してきた?
――世界選手権の歴史をざっとまとめてみよう。
……「私(藤井)の見方に基づくまとめ」であるから、異論もあろう。とにかく、(“平和への貢献”“ルール改正”“競技面から見る発展”の)3つにわけて回想してみることにする。先ずは、“平和への貢献”という切り口から。
平和への貢献
人種差別をしない/ピンポン外交
あらゆる競技に先がけて、モンタギュ初代会長(26~67年)の時代に国際卓球連盟は「オープンドア・ポリシー」(門戸開放政策)をかかげた。そして、有色人種に対する人種差別のきびしかった時代の南アフリカから有色人種の協会が57(昭和32)年ストックホルム大会への参加の道を開くなどの実績をもつ。
※オープンドア・ポリシーとは。
①国家ではなく、一定の地域を統括している卓球協会であれば、世界選手権参加の資格を認める。
②いかなる肌色・人種・宗教の人も差別しない。
③世界選手権に参加するのは「プレーヤー」であって、アマ・プロを問わない。
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政治の面でも文化スポーツの面でも断絶状態のアメリカと中国の緊張緩和に役立ち、“ピンポン外交”の新語を生んだのは、71年名古屋大会のときだった。アメリカチームは初めて訪れた中国で大歓迎をうけ、ニクソン大統領の訪中へと発展した。
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朝鮮半島が南北に分断されて以来、民族の悲願である「統一コリア」による世界選手参加が実現したのは91年千葉大会。あらゆるスポーツを通じ、「世界選手権」で実現した最初の出来事であった。“第2のピンポン外交”とも呼ばれた。
こうした「平和への貢献」は、モンタギュ初代会長以来のよき伝統として生きつづけている。
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