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2024.05.01

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「人生の大事なときに実力を出せる自信を得た」日本の肖像 木村 敬道・鈴木兼四(2007年1月号から)

ニッタクニュースの人気コーナー「日本の肖像」から編集部がピックアップしてお届けします。

日本の肖像とは、各界でご活躍されている卓球人にご登場いただき、卓球を通じて学んだこと、その経験を生かした成功への道を語っていただくコーナーです。
第25回は2007年1月号より、木村敬道さん、鈴木兼四さんです。
※所属・年齢・事実は掲載当時のまま

 

左から木村敬道さんと鈴木兼四さん

 

株式会社 高文代表取締役社長
木村 敬道

IPPジャパン株式会社代表取締役社長
鈴木 兼四

 

「チームを支えた二人――。ダブルスは無敗の活躍…」

 

入れ替え戦で教育大を下す
今月は、東大卓球部OBの本村敬道さん(62=株式会社高文代表取締役)と同期の鈴木兼四さん(62=IPPジャパン株式会社代表取締役)をお迎えした。

東大は、現在関東学生リーグ戦の3部校だが、かつては学生界のトップに君臨していたことがある。
昭和初期には日本代表選手を輩出したこともあり、戦前は1部に所属し、早大と常に優勝争いを演じていた。
昭和20年代には2部に在籍していたが、昭和30年秋に3部に落ち、その後は昭和34年に1シーズンだけ2部に上がったものの、すぐに3部に落ち、3部の2位が定席になっていた。
昭和40年に再び転機が訪れた。東京教育大(現筑波大)との入れ替え戦に勝って2部昇格を果たしたのだ。2人はそのときのレギュラーで、チームを支えた。当時3部には、大正大、東京農業大、芝浦工大、 一橋大、日本体育大、学習院大、工学院大などが在籍していた。東大は、Aブロックで5戦全勝、特に木村・鈴木組のダブルスは無敗だった。さらにBブロック優勝の学習院大を破って、入れ替え戦へとコマを進めた。
2対3の劣勢から木村さんが勝って3対3のタイに。最後は鈴木さんに命運が託された。結局2-0で勝って昇格を決めた。
「楽しいサクセスストーリーとして、昨日のことのように思い出します」(木村さん)。
「人生の大事なときに実力を出せるという自信を得ました」(鈴木さん)。
木村さんは、中学2年から卓球を始め、岡山朝日高校時代にインターハイ代表となり、東大に進んだ。3年時に主将を任され、卓球部70年史の歴代部員の短評欄には「左の強烈なドライブとぶっつけサーブが武器。ただし、スマッシュは下手。強い主将」と記されて
いる。
商工中金に6年勤務したあと、電気機械器具卸売業&リース業の高文に入社。通産省に出向していたころには、各省対抗卓球大会で活躍したり、27歳までは実業団の大会に出場していた。
「昔は、球の動きがよく見えたものですが、最近は動体視力が衰えましたね」。
趣味はタウンウォッチング。2日に1回、皇居1周をする。ほかには週に1回、ゴルフをするのが楽しみ。

 

東京大学昭和42年卒メンバー

 

「卓卓会」を結成、再び青春を謳歌
鈴木さんは、中学1年で卓球を始め、中学3年時には東京都ダブルスチャンピオンになり、麻布高校卒業後、東大に進学している。
「ペンホルダー。前陣速攻。黙々と練習して強くなった。大器晩成型。理系だが文才あり」と70年史に記されている。
住友電工に36年間勤めたあと、59歳で風力発電関係の会社を興した。
インド、ベネズエラ、豪州などに駐在した際には、ラケットを持参。「すぐにみんなと仲良くなりました」という。今でもフルマラソンに挑戦している。
木村さんはサウスポー、鈴木さんは右利き。現役時代はベストの組み合わせで、互いの長所を引き出しあった。今でも「公私ともに名ダブルスを組んでいます」と口をそろえた。
東大には過去にも強い選手はいた。しかし、リーグ戦を勝ち抜き、入れ替え戦でも勝つためには強力な5人のメンバーをそろえなければならない。それがなかなかできなかったわけだが、この時代は木村さん、鈴木さんのほかにも強い選手がそろっていた。
同期には河合弘之さんと山根仁さんがいた。河合さんは桐朋高校出身で、高3の時、東京都下の大会で優勝している。伝統的なカットマンタイプで、何よりもその勝負根性はどんな強豪をも手を焼かせたという。現在は弁護士として活躍、日本卓球協会の顧問弁護士を務める。自宅に卓球場を作り、「おそらく現状では同期の中で最も強い」(鈴木さん)と評判だ。山根さんは山口県防府高校出身。高校時代は県下に勇名をはせていたという。攻撃的カットマンで、鉄壁の防御を得意とした河合さんとは対照的だったそうだ。現在は地元で耳鼻咽喉科を開院、名医師として信頼を得ている。
もう1人は2年後輩の久保博司さん。麻布高校出身で、中学時代は東京都のシングルス、団体で優勝している。大学時代は主将として活躍、現在は大成建設の役員を務める。
鈴木さんは、70年史の中でこうつづっている。「あれから40年近く経っているが、5人の胸の中には2部の栄光に向けて駆け上がっていった、あのころの青春の燃焼が、消え去ることはなかったのである」。
卓球をやって良かったことは、「仲間、友人、知人と知り合ったこと」と木村さん。
60歳を過ぎてからみんなで良く会うようになったという。昨年春に「卓卓会」を結成、再び青春を謳歌している。お酒を飲むだけではつまらないので、東京・神田に集まってマージャンで勝負勘を養っている。ゴルフもやる。ところで肝心の卓球だが、河合さんをのぞいてほとんどやらない。