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ニッタクニュースの人気コーナー「日本の肖像」から編集部がピックアップしてお届けします。
日本の肖像とは、各界でご活躍されている卓球人にご登場いただき、卓球を通じて学んだこと、その経験を生かした成功への道を語っていただくコーナーです。
第26回は2007年2月号より、小枝至さんです。
※所属・年齢・事実は掲載当時のまま
日産自動車取締役共同会長
小枝 至
ペン裏イレギュラー。正確なショートが売り物。卓球部旅行課
今月のお客様は、日産自動車取締役共同会長の小枝至氏(65歳)。外国メーカーとの提携問題などでお忙しい合間を縫って、東京・新橋の本社でお話をうかがった。
「本格的に卓球を始めたのは、大学(東大)に進んでからです。だから、華々しい活躍などありません」
野球少年で、中学から高校にかけて軟式野球で活躍した。ポジションはショートかセカンドで、打順は1番。高校(都立日比谷)1年の時には3番に抜てきされ、あと1つ勝てば後楽園大会に出場するところまでいった。
東大に進んでからは、迷わず野球部を選んだ。軟式と硬式の違いはあったが、自信はあった。
「東大なら何とか通用するだろうと思って入ったんですが、とんでもなかった。ピッチャーの球が目の前で浮き上がってくるんです。これじゃやっていけないなあとあきらめました」
そして、卓球部にくら替えした。子どものころは卓球が盛んで、どこでも経験できた。しかし、その程度の経験で、トップ選手になれるほど甘いものではない。
「とにかく走らされました。私は、短距離が得意だったので苦になりませんでしたが、初期トレーニングは人減らしの手段のようでしたね。かなりの人が脱落していきました」
スポーツに関する常識も昔と今では大きく変わってきている。たとえば、昔の野球の投手は、肩やひじを絶対に冷やしてはいけないと言われていたが、今は練習や試合のあとは必ずアイシングで炎症を鎮めている。
水分の摂取もしかりで、現在は練習の合間に水をとることを勧めるが、当時は一切禁止で、塩水を飲んでいたという。
「今から思うとずいぶん間違ったことをしていたものです」
部員は多くレギュラー、一生懸命やっている人、要領のいい人の3グループに分かれていた。東大卓球部70年史の短評によると小枝氏の欄には「ペン裏イレギュラー。前陣、計(はか)ったように正確なショートが売り物。卓球部旅行課」と記されている。
「仲間と旅行に行ったことが一番印象に残っています」
65年に日産自動車に入社。以後はほとんど技術畑を歩いてきた。卓球は「急にやってアキレス腱を切ってしまうといけないので」やっていない。
同社の卓球部は日本リーグの強豪として知られる。人事部長時代の1年だけだったが、同部に卓球部員が所属していた。
「以前は男女卓球部がありまして、強かった。現在は男子だけになりましたが、強いですよ」
大学4年時、北海道旅行をしたときのもの。右が小枝さん、左は同期の大野省平さん
趣味は、タウンウォッチングとゴルフ。タウンウォッチングは、以前から健康管理と好奇心を満たすために続けている。街に何かができると必ず見に行っている。レインボーブリッジの下を歩いたり、六本木ヒルズの屋上に出たりもしている。
秋から冬にかけては、気温が低くなるため中断するが、また気候がよくなれば再開する。歩き方のコツは、ただ漫然とではなく、あらゆる事象に興味を持つこと。そのことでトレンドがわかり、それが仕事上にヒントにつながることもある。
100円ショップものぞく。「どうしてこんなことができるのか考えさせられますね」
銀座を歩けば高級ブランド品を持った人に目がとまる。「値段が少々高くても、いいものであればユーザーは興味を示してくれる。そこでユーザーの方に精神的な満足を提供するためにはどうしたらいいのかなと歩いています」