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昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。
*所属・年齢は当時のままです。
*ここに紹介の記事は、本誌記事を一部抜粋、編集しています。文中敬称略
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有言実行――
「3冠は目標でした。これからが本当の勝負」
全国高等学校選手権大会(インターハイ)が、7月28日~8月2日、福島県・郡山総合体育館で行われた。大会最終日に行われた男子シングルス決勝で、木造勇人(愛工大名電)が2年連続の優勝。そして4年ぶり、男子では12度目の3冠(団体・ダブルス・シングルス)に輝いた。
高校卓球とは敗北のスポーツである。最後に笑って終われるチーム・選手は、全国でただ1つ。その他のすべてのチームの3年生は遅かれ早かれ敗れた悔しさを胸に卓球界を終わるのである。頂点に立つ者以外は全員が敗者となるインターハイ。その過酷さ残酷さに似つかわしくない優しさあふれる男が大会を振り返った。
プレッシャーの中での優勝
「プレッシャーが半端なかったです。とにかく団体戦が優勝できて良かったです。シングルスは、全く調子が良くなかったのですが、最後は良くなってきたかな、と思います」シングルスの優勝インタビューにも関わらず、木造は『団体戦』の感想を述べた。彼の人間性が良く出たコメントである。
確かに、調子は良くなさそうだった。要所で得点し、勝たせない、見ていてそう感じさせる試合が多々あったのだ。
「最終日1試合目の柏友貴選手(関西高校)戦。スコアではストレート勝利ですが、すべて競り合い。そして相手にリードされる苦しい場面が何度もありました。でも経験があったから、慌てなければ大丈夫、と思ってプレーできました」
木造は、2017世界選手権デュッセルドルフ大会に、トレーナーとして参加して、優勝したミックスダブルス(吉村真晴・石川佳純)をはじめ、多くの代表選手のスパーリングパートナーを務めている。その経験が今回の優勝につながった、とも話してくれた。
準決勝の相手は、1月の全日本選手権ジュニアの部でも対戦している金光宏暢(大原学園)。その際は3対1で勝利したが内容は競り合っていた。今回も接戦は予想され、フルゲームで9-7とリード後、9-9に追いつかれた。タイムアウトを取り、11-9で勝利するも、表情は晴れなかった。
無理もない。男子シングルス決勝までに、学校対抗で9試合、ダブルスで6試合、シングルスで6試合をこなしている。また、大会2日目の団体戦では、両足をつるアクシデント。その影響もあってか、大会唯一の黒星をこの時喫している。しかし木造は冷静だった。
「これまでもたくさん調子が悪かった時がある。でも次の日はよくなることがある。そこをわかっていたので『明日は良くなる』と信じていました」
決勝の相手は、戸上隼輔(野田学園)。昨年の国体で対戦した時は、勝利したものの、0対2からの挽回。あと一歩のところまで追い詰められている。
「攻撃力が非常に高い選手。こちらが受け身になったら負ける、と思っていました。ですから、台上からでも攻める姿勢で挑みました」
結果は3対1で勝利。しかも「木造」らしいキレのある両ハンド攻撃と、天才的な打点の早いプレーをみせた。
3冠目となる男子シングルスで優勝し、ベンチに入った今枝一郎監督と笑顔で抱き合った
絶対にこのユニフォームで優勝する
「小学6年生の全日本選手権ホープスの部、中学3年の全国中学校大会で負け、卒業年度の大会に弱いんです。だから、インターハイだけは絶対に優勝したくて」試合前に、木造はこう話した。
インターハイは、ダブルス、団体、シングルスの順番で優勝が決まっていく。木造は、ダブルスで髙見とペアを組み優勝。優勝直後にお祝いの言葉をかけるも「嬉しいですが、手放しに喜べません。まだ次の目標があるので」と答えた。
そして団体で優勝。またお祝いの言葉をかける。偶然この時、木造同様3冠の可能性のある髙見真己が隣にいたが、「明日も優勝して3冠を取ります。ただそれだけです」と普段はそんなことのない男が、感情を表に出した。
迎えたシングルス決勝。
木造は、「ゲン担ぎ」をする。ゲンの良いユニフォームは「赤系・ピンク系」だという。男子ダブルスで優勝した時は、全日本選手権ジュニアの部で優勝した「ピンク」。そして準決勝では「赤系」。シングルス決勝も「赤系・ピンク系」であることが容易に予測できた。
しかし、決勝は「青系」のユニフォーム。木造と「青系」のユニフォームは相性が良くない。3、4年前に「青系はあまり調子がよくないので、試合では着ません」と話していたことがある。
優勝を決め、なぜ「青系」にしたのか聞こうとすると、「驚きましたよね?」と、機先を制された。
「青のユニフォームで1年生の時決勝で負けてしまいました。このユニフォームを大会前に見たとき『絶対このユニフォームを着てシングルスで優勝しよう』と思いました。2年前のリベンジです。それだけです」
優勝を決め、いつもの優しい男の笑顔で返してくれた。
最終日の表彰式 父・幹久さん、母・清子さんと