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昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。
QアンドAとエピソードでつづる世界選手権おもしろ史
卓球はどのように発展してきた?
――世界選手権の歴史をざっとまとめてみよう。
……「私(藤井)の見方に基づくまとめ」であるから、異論もあろう。とにかく、(“平和への貢献”“ルール改正”“競技面から見る発展”の)3つにわけて回想してみることにする。
今回は、2つ目の”ルール改正”について。
ルール改正4つの方向
より面白く、明るく、健康なスポーツへ
――さまざまなルール改正が行われて、現在にいたっているね。
……大きくわけると、4つの方向でルール改正が行われてきた
①“フェア”であること
37(昭和12)年バーデン大会で猛威をふるったアメリカチーム開発のフィンガースピン・サービスは、打球の瞬間が対戦相手に見えないところですごい変化球をくりだすもので、これは、「フェアプレーの原則」に反するということから、直ちに禁止となった。その後も、サービスの打球点が対戦相手に見えるようにするなど、公平さ(fairness)を求める方向へのルール改正がたびたび行われている。
②エキサイティングなラリーを求めて
ラリーが6、7回…と続くこと。それが単調なものではなく、スピードや変化をおりまぜたエキサイティングなラリーであること。
この2条件がそろってこそ、観てもやっても面白いスポーツといえる。こうした2つのことを阻害する行為の代表例をあげると、36年大会の1ポイント2時間強という長すぎる単調なラリーがある。そのため、制限時間ルールを設け、さらに促進ルールに改め、現在にいたっている。これによって単調な粘りあいは、現在では最大限で1ポイント10分までしか許されなくなっている。
また、すごいサービスのためラリーが続かなさすぎる時代が70年代から続いたのちに、85年からラバーの色を「明るい赤と黒」に限定し、レシーブミスが少なくなる方向へルール改正を行っている。
さらに、ボールを直径40ミリに大きくすることによって、観客やテレビ視聴者に見やすくすると共に、少しの球速ダウンでラリーが続くように改めた結果、エキサイティングなラリーの試合がふえた。
③明るく、ファッショナブルに
「卓球は暗いスポーツ」と言われた。そこで80年代後半から90年代はじめにかけ、相次いでルール改正が行われた。
・白球だけでなく、見やすいオレンジ球の使用も認める。
・服装は、長年「単一色」と決まっていたが、「何色でもよい」し「2色でもよい」こととする。
・卓球台の色を“暗緑色”から明るい色に、国内ルールもJ-S規格(日本工業規格)も変更。
こうしたルール改正によって、「暗いスポーツ」というイメージが完全に拭い去られた。
④健康によいスポーツ
打球のコントロールと威力を高めるプラス面と、人体に有害というマイナス面をもつ「有機溶剤を含む新型接着剤(スピードグルー)」が90年代から世界に広まった。「健康によいスポーツであることが大切」という考えに基づき、08年9月1日からこの種の接着剤が全面禁止となった。
3つ目は「競技面から見る発展」。続きは1/13配信の後編で!
藤井基男(卓球史研究家)
1956年世界選手権東京大会混合複3位。引退後は、日本卓球協会専務理事を務めるなど、卓球界に大きく貢献。また、卓球ジャーナリストとして、多くの著書を執筆し、世に送り出した。特に卓球史について造詣が深かった。ニッタクニュースにおいて「夜明けのコーヒー」「この人のこの言葉」を連載。
本コーナーは藤井氏から「横浜の世界選手権に向けて、過去の世界選手権をもう一度書き直したい」と本誌編集部に企画の依頼をいただいた。執筆・発行の14日後、2009年4月24日逝去