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昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。
※ここに紹介の記事は、原文を一部抜粋、編集しています。敬称略
QアンドAとエピソードでつづる世界選手権おもしろ史
第11回1937(昭和12)年2月1~7日 バーデン(オーストリア)
Q――アメリカ男子に初優勝をもたらした「驚異のニューサービス」とは?
A……指で回転を与えるFS(フィンガースピン)の開発
――今とちがって、船旅全盛時代のこと。アメリカチームは、船でオーストリアへ向かった。船中で“指”の特訓をし、自分たちが開発したニューサービスに一層のみがきをかけたってほんと?
……ほんと。船中でボール遊びを楽しんだ。そして、昼食のときも夕食のときも、ボールを親指と人さし指のあいだにはさんで、楽しみながらニューサービスの特訓をやったという*。
――それはどんなサービスなの?
……当時のルールでは、ボールを上空に投げ上げる必要はなく、ボールを握ったままサービスを出して良かった。左手(右利きの場合)の指でボールにさまざまな回転(スピン)を与えて出すサービス「フィンガースピン・サービス」をアメリカチームが開発した。対戦相手には、打球の瞬間に指をどのように使いどのような変化球が飛んでくるのかがわからない。それでいて、レシーバーの目の前でボールが右に左に曲がったりするという、すごいサービスであった。
名手バルナも返せぬほどの“脅威球”
――そんなにすごい変化サービスだったの?
……男子団体の決勝でハンガリーがアメリカと対戦した。それまでの実績からすれば、だんぜんハンガリーが上。だが、敗れた。バルナがフィンガースピン最高の使い手であるシッフに敗れたことが、チームの大きな敗因となった。バルナほどの名手でも、うまくレシーブできないシッフのサービスであったというわけである。翌年1月に東京で行われた日本対ハンガリー戦の初戦でケレンがアメリカチームにならってフィンガースピン・サービスを使用。シッフらに比べると威力がおとるとおもわれるが、それでも川村澄(立教大)から立ち上がりに4本連続してフィンガースピン・サービスで得点している。
…続きは、7/15配信の後編で!
*参考文献:『VICTOR BARNA』フィリップ・レイド著
著者はスポーツに関する記事を多く書いている卓球愛好家で、本書は世界最多22個の金メダリストのビクター・バルナに関する伝記である(発行・イーストランドプレス)
藤井基男(卓球史研究家)
1956年世界選手権東京大会混合複3位。引退後は、日本卓球協会専務理事を務めるなど、卓球界に大きく貢献。また、卓球ジャーナリストとして、多くの著書を執筆し、世に送り出した。特に卓球史について造詣が深かった。ニッタクニュースにおいて「夜明けのコーヒー」「この人のこの言葉」を連載。
本コーナーは藤井氏から「横浜の世界選手権に向けて、過去の世界選手権をもう一度書き直したい」と本誌編集部に企画の依頼をいただいた。執筆・発行の14日後、2009年4月24日逝去