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ニッタクニュースの人気コーナー「日本の肖像」から編集部がピックアップしてお届けします。
日本の肖像とは、各界でご活躍されている卓球人にご登場いただき、卓球を通じて学んだこと、その経験を生かした成功への道を語っていただくコーナーです。
第14回は2012年10月号より、吉田進さんです。
※所属・年齢・事実は掲載当時のまま
文■細谷正勝
写真■片野賢二
京都大学卓球部 OB会監事
吉田 進
京大ではいい仲間と妻の喜美さんに出会う
「父(故康雄さん)から京大へ進んで卓球をやれとよく言われました。そこでいい仲間を作れとね」
1943年(昭和18)4月18日、神戸市生まれ。
クラブ活動は、京都・洛星高からで、仲間4人と卓球部を立ち上げた。
卓球は、軽快なフットワークが要求されるが、「足が遅く、運動神経が鈍い方の僕には一番向いていなかったのかも」
フォアハンド1本で戦い、それでも府大会では個人戦、団体戦で部の最初の1勝をあげた。
その後、念願の京大に進学。「当時の京大は、関西学生リーグ2部上位。部員は約60~120人で、卓球台は8台、レギュラーが4台を使うので、残りの台を奪い合うようにして使いました」
技巧派の選手が多く、その人たちのために自分は何ができるのかと考えた結果、2年生の時に「フォアのドライブでガンガン攻めて、レギュラー選手のいい練習相手になる」ことを決断した。今も人の役に立つことをしたいので、卓球関係を含めたいくつかの世話役をしている。
「京大卓球部でよかったのはいい仲間に恵まれ、また、部員だった妻の喜美と出会ったこと。彼女の卓球は、正攻法でわかりやすいけど、それ以上に相手の手の内・心の内を読んでいます」
部員同士の結婚は2人が初。喜美さんは大分県生まれ。中学から卓球を始め、中津南高時代は県大会の複優勝、七帝大戦の個人戦では4年連覇の経験もある。
ピンポンの音で再開
進さんは、大学卒業後、商船三井に入社。法務関係や営業、監査役などを経験。82~87年まで南アフリカに駐在した。夫婦で地元警察の卓球クラブに所属。グランドチャンピオンリーグ昇格の一歩手前までチームを押し上げた。
混合複では、ヨハネスブルグ市大会で3位に入り、賞金も獲得している。
商船三井客船専務、日本チャータークルーズ社長を経て、03~06年まで芦屋の独立行政法人「海技大学校」の理事長を務め、現在は株式会社宇徳に週1回通う。
目標は、「90歳での夫婦ダブルス」と言い、76年から東京都町田市の鶴川チームに所属している。
鶴川団地に越してきたとき、集会所の前を通ったら、ピンポンの音が聞こえてきた。覗いてみると、楽しそうに卓球をしていたのが再開のきっかけ。現在は会長職をつとめ、週1回練習に参加している。
また、学生時代からチャレンジ精神が旺盛だったことと、人の役に立つことはなんでもやってやろうという方針のもと、鶴川チームではラージボールをやりたいという人がいれば練習相手をし、カット打ちがしたいという人がいれば、カットマンに変身する。
いつお声がかかってもいいように、ラージ用ラケットとカット用ラケットを持参している。
最近の楽しみはなんですか、との問いに、春と秋の京大OB会練習会に参加することという。
「大学を卒業したばかりの若者とも交流できる。最高ですね」
練習会に加え、囲碁会、ゴルフ会、関東支部理事会、総会、等々OB会の諸行事には可能な限り参加している。
「言い出しっぺで、何でもやるけど、全部ヘタの横好きです。お世話になった皆さんへの恩返しでもあります」と笑顔で語ってくれた。