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昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。
※ここに紹介の記事は、原文を一部抜粋、編集しています。敬称略
QアンドAとエピソードでつづる世界選手権おもしろ史
第一次世界大戦 1914(大正3)年-18年
第二次世界大戦 1939(昭和14)年-45年
Q――二つの世界大戦が残した三つの悲しい出来事とは?
――二つの世界大戦の“つめ跡”というか、大戦は世界選手権にさまざまなマイナスをもたらした。その代表的なものを三つ挙げ、説明してよ。
A……①観客が決勝相手を殴る事件が勃発
……1932(昭和7)年の世界選手権がチェコスロバキア(チェコ)のプラハで行われた時のこと。男子団体で地元チェコがハンガリーを決勝で破って、初優勝した。それは、熱狂的な大観衆に後押しされての優勝だった。
――と言うと?
……参加10チームの総当たりリーグ戦で行われ、8勝0敗のハンガリーと7勝1敗のチェコが対戦した際に、会場の大ダンスホールは2千人の収容能力だが、6千の大観衆が詰めかけた。熱気ただよう中で、チェコの観衆がハンガリーの選手を殴るというハプニングが起こった。加えて、大観衆による熱狂的な応援。このため、ハンガリーチームは平静さ、集中力を失い5対0で負けた。この大会の男子シングルスで1・2位を占め、男子ダブルスも優勝しているだけに、ふつうに戦えばハンガリーが上であり、6連覇できたはずだが、混乱したハンガリーが敗れて8勝1敗で並んだ。翌日のプレーオフにも大観衆が押しかけて、熱狂的な応援。ハンガリーチームは再び混乱し、チェコに初優勝を許すこととなった。大会後にハンガリーのバルナが「われわれの集中力は十分でなかった」「(騒音に気をとられたりしないで)相手打球をよく見ることが大切」と反省している*
――どうして、ふつうでは考えられないほどの大観衆が詰めかけたり、殴ったりということが起こったの?
……第一次世界大戦(1914~18年)で敗戦国となったハンガリーは、トリアノン条約によって国土の一部をチェコに分割させられた。以来、両国の関係が悪くなり、しばしばトラブルが起こっている。そういう背景の中で32年大会がチェコで行われ、ハンガリー戦に大観衆が押しかけ、殴るという事件が起きた。
…残りの二つの事件は、7/30配信の後編で!
*参考文献:『VICTOR BARNA』フィリップ・レイド著
著者はスポーツに関する記事を多く書いている卓球愛好家で、本書は世界最多22個の金メダリストのビクター・バルナに関する伝記である(発行・イーストランドプレス)
藤井基男(卓球史研究家)
1956年世界選手権東京大会混合複3位。引退後は、日本卓球協会専務理事を務めるなど、卓球界に大きく貢献。また、卓球ジャーナリストとして、多くの著書を執筆し、世に送り出した。特に卓球史について造詣が深かった。ニッタクニュースにおいて「夜明けのコーヒー」「この人のこの言葉」を連載。
本コーナーは藤井氏から「横浜の世界選手権に向けて、過去の世界選手権をもう一度書き直したい」と本誌編集部に企画の依頼をいただいた。執筆・発行の14日後、2009年4月24日逝去