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2020.10.08
インタビュー平野早矢香 第1回〈全3回〉 JA全農2014世界選手権東京大会準決勝で逆転勝利! (2014年9月号から)
昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。
第1回は世界選手権東京大会活躍の糧となった全日本選手権大会や世界選手権選考会を振り返る中で、自身のプレースタイルについても語ります。
*所属・年齢は当時のままです。
*ここに紹介の記事は、本誌記事を一部抜粋、編集しています。文中敬称略
本誌記事ページはこちら!(2014年9月号PDF)
世界選手権選考会と全日本選手権大会を終えて
「代表に選ばれるという確信はありませんでした」
JA全農2014世界選手権東京大会で、女子日本代表チームは銀メダルを獲得した。だが、そこまでの道程は険しいものだった。
準決勝の中国香港戦は、観衆を感動に引き込む内容であった。中でも3番に出場した平野早矢香のプレーは、56年東京大会の田中対ガントナー戦同様に今後も語り継がれていくだろう。
平野は、第1、2ゲームともに、自分の流れで試合を進めたが、連取される。こうなると第3ゲームの流れは相手に傾く。
第3ゲームは、前半からリードを許し、4-9と不利な状況に追い込まれ、会場の誰もが平野の敗戦を予想した。
試合後、スコアはまったく覚えていなかった、という。
とにかく自分のできること、絶対に諦めてはいけない、という気持ちでプレーしました、と語る。
0-2の4-9から大逆転。日本の決勝進出の立役者となった。
――世界選手権の代表には、まず選考会からになりますね。
平野 選考会に向けて練習をやりこんでいたので、優勝を狙うつもりでやっていました。最終戦までに何回か負けましたが、最終戦に勝てば代表になれるというところにいました。今振り返ると、最終戦は、少し意識してしまったかもしれません。
――その後の全日本選手権では、シングルスはベスト8に終わり、その前年の全日本は初戦敗退だったと思いますが。
平野 その前のことがあったので、初戦から緊張というか、気を引き締めて臨みました。試合は2試合目の狭間のぞみ選手(十六銀行)と接戦になりました。苦しかったです。
――全日本を振り返ると…。
平野 シングルスだけ見れば満足はしていません。しかし、前回は初戦負けだったので、少しは立て直すことができ、課題も見つけることができました。また、ダブルスは優勝することができたので、そこは良かったと思います。
――全日本選手権が終わり、自力で代表権を獲得することができませんでした。
平野 自分自身で代表権を勝ち取ることができませんでしたので、選ばれるという確信はありませんでした。チームに必要とされれば選ばれるだろうし、必要でないなら選ばれないだろう、と思っていました。
――結果は監督推薦で選ばれました。そして今回は、平野さんが年長者ということになりましたが。
平野 最初は、私と福原愛選手(ANA)、石川佳純選手(全農)に初出場の田代早紀選手(日本生命)、そして森さくら選手(昇陽高)の5名でした。ロンドン五輪メンバーは団体戦慣れしていると思っているので、自分たちのペースで調整できるな、と思いました。そういうことで初出場の2人が緊張しないで、自分たちの力が発揮できるように、良い雰囲気で練習できればいいな、と気を配りました。
村上恭和日本女子代表監督(右)と平野早矢香選手(左)
――世界選手権までに、ワールドツアーがありましたが、調子は。
平野 良かったり悪かったり、調子の波がありました。結果も内容も満足のいくものではなく、良い試合と悪い試合の内容の差が大きくて不安がありました。
――トップ12が終わって、用具を変えるなど、プレースタイルを模索していたようですが。
平野 私のプレースタイルには、『回転』という要素が必要で、以前から重要視してきたことです。
スピードグル―がなくなり、なかなか納得のいくラバーがなかったのが本音です。そして今回、指導してもらっている中で、用具を変えようという話になりました。実際変えたら、練習では凄く良い感じでした。ただ選手は試合で結果が出ないと不安だと思うので、結果が出るまでは不安でした。
続きは10月13日に配信!
次回はいよいよ世界選手権東京大会!