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昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。
※ここに紹介の記事は、原文を一部抜粋、編集しています。敬称略
QアンドAとエピソードでつづる世界選手権おもしろ史
第29回大会1967(昭和42)年4月11-21日 ストックホルム(スウェーデン)
第30回大会1969(昭和44)年4月5-15日 ミュンヘン(西ドイツ)
世界1の中国が67・69年大会に不参加、なぜ?
長谷川信彦らの登場…。
文化大革命という権力闘争の嵐
――1965(昭和40)年に男女そろって初めて世界1になった中国が、67・69年と2大会連続して世界選手権に参加していない。なぜ?
……国内に文化大革命というすさまじい権力闘争の嵐が起こり、スポーツ活動などが中止されたためである。富裕層の人たちが、中学生を中心とする紅衛兵に引っぱりまわされたり、卓球の有名監督や有名選手が迫害をうけるなどの事が起こった。町は“毛沢東一色”の感じとなった。66年にはじまり、10年間つづいたが、69年までの革命当初は国際大会への出場がすべてストップした。
――65年までは「日・中2強時代」だったわけだから、中国が出ないとなると、66年以降の60年代後半は、日本が世界卓球界の中心となったわけだね。
活躍した日本選手は?
……そのとおりで、「各種目の優勝」に、それが表れている。
――この時期に特に活躍した日本選手は?
……男子で言うと、20歳の長谷川信彦を中心に河野満、少し遅れて伊藤繁雄の“三羽がらす”。長谷川は一本差しという珍しいグリップで、強力ドライブとロビングが得意、河野はペンホルダー(ペン)の速攻、伊藤はペンのドライブとスマッシュと、三者三様のプレーで71年名古屋大会まで日本の中心選手として活躍した。67年は鍵本肇も団体優勝に大きく貢献した。
女子では、深津尚子、山中教子、そして三番手の扱いだった森沢幸子が67年大会で単複に優勝した。ペンのバッククロスの強打が抜群の選手だった。69年大会では、ペンのドライブによるカット打ちの名手・小和田敏子がガイスラーという東ドイツの選手(カットマン)を破って優勝した。69年大会では、田阪登紀夫、浜田美穂の両新人も活躍した。
年々攻撃的になった欧州の卓球
ヨーロッパの卓球は、日本や中国の影響をうけて、年々攻撃的になり、69年のミュンヘン大会では、男子のシェラー(西ドイツ)、女子のガイスラー・アレキサンドル(ルーマニア)など、カットを主体とするカットマンが少数派に転じた。男子ではシェークで強力なスマッシュを得意とし、男子複に優勝したヨハンソン、女子では69年大会で団体初優勝のルドノワ(ペン)、グリンベルグ(シェーク)のような攻撃主体のプレーで金メダルをとる欧州選手が現れた。
●こぼれ話
フェアプレー
ヨハンソンのフェアプレーについては、『ニッタクニュース』その他で筆者がたびたび書いており、ユネスコのフェアプレー賞も受けている。
ミュンヘン大会のガイスラーも小和田との決勝の大事な場面において、「自分が得することになる審判員のミスジャッジ」に対して、アピールしたが受け入れられず、次のポイントをミスして相手の得点にするという卓球競技の伝統の美風を示し、スタンドの拍手をあびた。
ヨハンソンもガイスラーも、勝敗よりもフェアプレーを優先させる行動を大事な場面で示し、多くの人々に感銘をあたえた。
各種目の優勝
第29回大会
男子団体 日本(長谷川・河野・鍵本)
女子団体 日本(深津・山中)
男子シングルス 長谷川信彦
女子シングルス 森沢幸子
男子ダブルス アルセア/ヨハンソン(スウェーデン)
女子ダブルス 森沢幸子/広田佐枝子
混合ダブルス 長谷川信彦/山中教子
第30回大会
男子団体 日本(長谷川・河野・伊藤)
女子団体 ソ連
男子シングルス 伊藤繁雄
女子シングルス 小和田敏子
男子ダブルス アルセア/ヨハンソン(スウェーデン)
女子ダブルス ルドノワ/グリンベルグ(ソ連)
混合ダブルス 長谷川信彦/今野安子
※団体戦のカッコ内は、決勝戦で戦ったプレーヤー
藤井基男(卓球史研究家)
1956年世界選手権東京大会混合複3位。引退後は、日本卓球協会専務理事を務めるなど、卓球界に大きく貢献。また、卓球ジャーナリストとして、多くの著書を執筆し、世に送り出した。特に卓球史について造詣が深かった。ニッタクニュースにおいて「夜明けのコーヒー」「この人のこの言葉」を連載。
本コーナーは藤井氏から「横浜の世界選手権に向けて、過去の世界選手権をもう一度書き直したい」と本誌編集部に企画の依頼をいただいた。執筆・発行の14日後、2009年4月24日逝去