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昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。
※ここに紹介の記事は、原文を一部抜粋、編集しています。敬称略
QアンドAとエピソードでつづる世界選手権おもしろ史
第15回大会1948(昭和23)年2月4-11日 ウエンブレー=ロンドン郊外(イギリス)
Q――女子「二強時代」(ロゼアヌとファルカス)の幕開けに、両者が準決勝を二度戦ったのは、なぜか?
A……制限時間を7分も超えて29対27に
――2連覇ねらいのファルカス(ハンガリー)がルーマニア新進ロゼアヌと女子シングルス準決勝で対戦し、二度戦って、二度とも勝ったというのは、どういうこと?
……審判員がミスジャッジをしたために起こった“事件”である。
――“事件”の説明の前に、1948(昭和23)年ごろからの約6年間というもの、2強時代と言われるほど両者が傑出していたことをデータで示してほしい。
……世界選手権女子シングルスでふたりの対戦成績は、次のとおりである。
・ファルカス
48年 優勝
49年 優勝
50年 2位
51年 2位
52年 2位
53年 2位
・ロゼアヌ
48年 3位
49年 欠場
50年 優勝
51年 優勝
52年 優勝
53年 優勝
47年も含めると、ファルカスは7年連続して決勝へ進み、そのうち3回優勝している。これに対してロゼアヌは4連覇、このあとの成績も加えると6連覇の偉業を達成。この両者が、この時代にいかに傑出していたかを、このデータが示している。
――ふたりの特徴と「最初の準決勝」について、説明して。
……ともにすばらしいカットによる守備を得意とし、時折放つ攻撃もうまい。だが、その攻撃力でカットをつき破ることができないほど、お互いのカットの水準が高い。両者の対戦は、守備対守備の「つっつきによる粘り合い」となることが多かった。48年ウエンブレー大会の対戦は、まさにそうだ。
この試合の模様を、クレイドンとウゾリナッチの記述を下敷きにして、再現してみることにしよう。
2対2となり、最終ゲームを迎えた。第5ゲームが始まって20分後にロゼアヌが21対20とリード。「1ゲームが20分に達し、勝負が決まらないときはリードしている方を勝ちとする」という当時のルールによって審判員はここで試合をとめ、ロゼアヌの勝利を宣言すべきであった。だが、主審のジミー・ローズが、ミスジャッジをおかし、試合を続行させた。29対27でファルカスが勝ったときには、7分オーバーの27分に達していた。
ルーマニア側は第5ゲームが20分に達したときロゼアヌがりーどしていたわけだから、ロゼアヌが勝者になるべきである、と抗議した。裁定委員会で協議した結果、再試合を翌日に行うことになった。
- ●こぼれ話
6時間待たされたロゼアヌ
準決勝再試合は、午前10時から行うことになっていた。
ロゼアヌは、予定時刻よりも前に競技会場へ着いた。
ファルカスは、どうか。ロゼアヌが語ったところによると、なんと6時間も遅れてあらわれたという。再試合に乗り気でなかったのであろう。
長く待たされて、ロゼアヌは集中力がとぎれたのか、ファルカスが23対21、21対10、21対14のストレートで勝った。
なお、このときファルカスは22歳。遅咲きのロゼアヌは26歳だった。
藤井基男(卓球史研究家)
1956年世界選手権東京大会混合複3位。引退後は、日本卓球協会専務理事を務めるなど、卓球界に大きく貢献。また、卓球ジャーナリストとして、多くの著書を執筆し、世に送り出した。特に卓球史について造詣が深かった。ニッタクニュースにおいて「夜明けのコーヒー」「この人のこの言葉」を連載。
本コーナーは藤井氏から「横浜の世界選手権に向けて、過去の世界選手権をもう一度書き直したい」と本誌編集部に企画の依頼をいただいた。執筆・発行の14日後、2009年4月24日逝去