OFFICAL ACCOUNTFOLLOW US
TOPICS
昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。
※ここに紹介の記事は、原文を一部抜粋、編集しています。敬称略
QアンドAとエピソードでつづる世界選手権おもしろ史
第24回大会1957(昭和32)年3月7-15日 ストックホルム(スウェーデン)
“新兵器”(ニューラバー)に転向しても成功しなかった人が多い中で、スポンジの佐藤・荻村につづき裏ソフトの田中が大成功したワケは?
「田中はアニマル(野獣)だ」
――田中利明が55年大会の男子シングルス決勝でドリナー(ユーゴ)を21-12、21-9、21-14の一方的なスコアで破って優勝したね。
……オランダのテレビ取材が会場へ到着したときには試合が終わっていて、もう田中は会場にオランだというほど短時間で終わっている。ヨーロッパのマスコミから“アニマル”とニックネームをつけられるほど、圧倒的な強さで優勝した。そして57年に再び世界1になっている。
――佐藤博治、54・56年の荻村伊智朗が共にスポンジラバーという“新兵器”を使って大成功したように、田中も裏ソフトラバーという新兵器で世界を制覇している。ニューラバーに転向しても大成功するとは限らない。どうしてこの3選手は大成功をおさめたのかな?
用具と自分の特徴を生かし大成功
……新兵器の特徴を生かすやり方に自分の卓球を変えたことにある。
――具体的に言うと?
……佐藤は、粒ラバー(一枚ラバー)時代にカットを主体とするオールラウンドプレーヤーだった。だが、スポンジではカットのコントロールも変化も、粒ラバーに劣る。しかしショートはやりやすく、スピードも出る。スマッシュは見ちがえるようにスピードが出る。そこで佐藤は、ショート主体に変え、全力で快速スマッシュを打つやり方に変えて大成功をおさめた。日本の卓球人が信じられないほどの大成功であった。
……後編は10/5に配信!
藤井基男(卓球史研究家)
1956年世界選手権東京大会混合複3位。引退後は、日本卓球協会専務理事を務めるなど、卓球界に大きく貢献。また、卓球ジャーナリストとして、多くの著書を執筆し、世に送り出した。特に卓球史について造詣が深かった。ニッタクニュースにおいて「夜明けのコーヒー」「この人のこの言葉」を連載。
本コーナーは藤井氏から「横浜の世界選手権に向けて、過去の世界選手権をもう一度書き直したい」と本誌編集部に企画の依頼をいただいた。執筆・発行の14日後、2009年4月24日逝去