OFFICAL ACCOUNTFOLLOW US
TOPICS
昭和22年創刊、800号を迎えたニッタクニュースのバックナンバーから編集部がピックアップしてお届けするページです。
第4回は早田ひな選手です。
中国のペアとの戦いを振り返り、その強さの理由を分析します。
*所属・年齢は当時のままです。
*ここに紹介の記事は、本誌記事を一部抜粋、編集しています。文中敬称略
本誌記事ページはこちら!
2000年に生まれた「ミレニアム世代」。そして誕生日が、7月7日。なんと縁起がいいのだろう。持っている、という言葉が良く似合う。世界選手権初参加、伊藤美誠(スターツSC)とのダブルスで3位入賞を果たした。
祖母、姉の影響で始めた卓球。負けず嫌いの性格もあって、他人よりも数倍の努力を怠らない。恵まれた体格に、天性の才能、それに努力が加わる。そして卓球を始めたのが名門・石田卓球クラブ。日本を代表する選手になることは予想されたことだった。
まさかの落とし穴
昨年末に行われた世界ジュニア選手権で団体優勝、続いて行われた1年間のワールドツアーチャンピオンを決める「グランドファイナル」では、アンダー21、女子ダブルスで優勝。色白の左腕は海外の地で躍動した。
しかし落とし穴が待っていた。年末の激戦の疲れもあってか、膝を痛めてしまい、それを抱えたまま年明けの全日本選手権に出場。思ったようなプレーができず、早々に敗退。膝痛はさらに悪化、練習時間も制限されてしまう。
全日本選手権後に、代表初選出が決まる。予想していなかっただけに、喜びは隠せなかったはず。
世界選手権ではあまり緊張しなかったという早田選手。試合中には笑顔も見せた。
大きかったアジア選手権の経験
「伊藤選手と初ペアを組んだアジア選手権は、世界選手権と(同等ではないが)雰囲気が似ていました。お互いに何が得意で、どういうプレーをするか、というのが理解できていたので、突っかかるところがなく、やりやすかったです。
アジア選手権で試合の経験を積んだことで、世界選手権本番の時の対応ができました。メダルが取れたことも自信になっていたし、すべてが順調だったと思います」
迎えた初の世界選手権。初戦はメインフロアではなく、セカンドフロアでの試合だった。
「セカンドフロアといっても、ほかのワールドツアーで言うなら、メインアリーナみたいな雰囲気。緊張はしなかったですけど、盛り上がりが凄く、これが世界選手権なのか、という雰囲気だったのを覚えています。2試合目がいきなりメインアリーナで、しかもテレビコート。テレビに映るのは関係なかったのですが、メインアリーナの雰囲気にちょっと緊張しました。でも、その経験があったからこそ、メダルを獲ることができたと思っています」
準決勝の相手は、楽しみだった、と話す、丁寧・劉詩雯(中国)であった。
「8‐8、9‐9、10‐10まではいくんですけど、あと1本が取れない。取らせない、という相手の雰囲気も凄く感じました。そこで点数を取るには、自分の全力というかベスト以上のファインプレーが必要だと感じました。私たちもそうですが、中国選手と対戦している選手のスコアを見て、それが『差』なのかなと感じます」
その『差』とはなんなのか。もう少し突っ込んで聞いてみた。
「0対1の9‐10で、私のサービス。それまでずっと流すレシーブをしてきた劉詩雯が、その時だけ、ハーフロングの、ブチ切れのツッツキをフォアにしてきました。思い切った精神というか、ブチ切ってやろう、という気持ちが私の中に足りない、と思いました。
また11‐10で、私たちがリードしている場面。私がレシーブで、作戦は、丁寧がバックに回り込みそうになったら、フォアサイドにレシーブにいく、という打ち合わせでした。
チキータレシーブをしようと構え、レシーブをする瞬間に、丁寧の動きを見ていても動いていない。よし、バックサイドにチキータレシーブだ、と打った瞬間、待っていました、と言わんばかりに、もの凄い動きで回り込まれて、シュートドライブを打たれました。
この2つのラリーには、衝撃を受けてしまいました。
そして最後。ハーフロングのサービスを出したときに、丁寧は、台にラケットをぶつけてまで、ドライブをしてきました。『絶対に打ってやろう、打たなきゃ勝てない』という執念のようなものを感じました」
中国選手との戦いを通して金メダルへの決意を新たにした
やはりシングルスに出たかった
早田はダブルスのみの出場。やはりシングルスに出たかった、と話した。
「自分が弱いから仕方がないのですが、やはりシングルスにも出場したかったです。同級生の平野美宇(JOCエリートアカデミー)選手、伊藤選手がシングルスに出場していて、悔しかったです。同級生ですが、色々見習う部分がたくさんあるので、しっかりと見習って、私は私、という気持ちで努力を続けていければと思います。
ダブルスの表彰式で、国家斉唱の時。国旗に向けて体を動かしたのですが、丁寧さんの背中に隠れて、日本の国旗を見ることができませんでした。銅メダルを獲得できたのは嬉しかったけど、その時に、やっぱり一番高い場所に立たないといけない、金メダルを取らないといけないと感じました」
今ではすっかりお馴染みとなってしまった膝のテーピング。本人は、痛みはない、と話すが、見ていて痛々しい。しかし言葉を選びながら話す早田選手からは、新しい目標、新しくしなければならないことが伝わってきた。
早田にとって、中国選手、という存在は『最強の強化書』なのかもしれない。
次回は11月11日に配信!
田添健汰選手が2017年世界選手権を振り返ります!